コラム

コラム82

2021年2月19日

Backcastingからバックキャスト思考への道のり~制約の中の豊かさ~

 

ライフスタイルを数多くデザインしていくと、これ以上アイディアが浮かばなくなる最初の壁が30種類程度デザインしたところで現れる。これは将来問題の発見でクリアできる。そして、70種類程度デザインしたところで、二つ目の壁が現れる。心の豊かさとは何かについてわからなくなるのである。心豊かさについてはまずは自分が心豊かだと思うことを探せばよい。美味しい物を食べる、人に認められるといった欲と言われるものや、楽しいことをする(楽しみ)、自然の中でのんびりする(自然)、人助けをする(社会とのつながり)、技を磨く(自分成長)などがある。これらは多くの人が心豊かだと思う要素であり、読者の皆さんも多くの人が心豊かだと思うだろう。一方、かつて、髪の毛が多い人の髪を抜いて、髪の毛がない人にあげる、ということが心豊かだと言った人がいる。これは何%の人がそう思うだろうか。この事例は人によって同じ行動でも心豊かに思う場合と思わない場合があることを意味する。具体的なシーンを思い描くと心の豊かさは数多く見つかる気がするが、上記のように「楽しみ」や「社会とのつながり」というように一般化すると急に種類が少なくなってしまう。そのため、二つ目の壁を越えるためには、具体的に考えれば良いかと安易に考えた。しかし、新たな心の豊かさの要素は増えていかず、その原因がなぜなのかわからなかった。ところが、その当時、90歳ヒアリングと呼ぶ戦前の暮らしの調査を進めていた。戦前の人が心の豊かさを得る方法は特殊であった。その時に気づいたのである。「制約の中の豊かさ」の存在である。つまり、制約がある時にこそ感じる心の豊かさと、制約とは無関係で感じる心の豊かさがあるということだ。ゲームはルールがあるから面白い。ルールを破って戦うとつまらない。心の豊かさの源泉が「制約」であることがわかれば、簡単に二つ目の壁を越えることができたのである。制約を厳しくすればするほど画期的なアイディアが浮かぶようになり、200種類を超えてライフスタイルをデザインできるようになった。

 

 

 

コラム81

2021年2月7日

Backcastingからバックキャスト思考への道のり~ライフスタイルデザインの二つ目の壁~

 

ライフスタイルを数多くデザインしていくと、これ以上アイディアが浮かばなくなる最初の壁が存在した。私自身の場合は約30種類描いたところで訪れた。なぜ、描けないのか。この壁を越えられない限り、ライフスタイルデザイン手法は、手法と呼べない。ライフスタイルデザイン手法は、第一に信頼できる予測データを用いて大枠としての環境制約条件を定める。第二にその環境制約条件下で想定される社会状況を議論する。第三に現在の暮らしを見て、将来発生する問題を発見する。第四にそれを解決する方法を考え、第五にその将来問題が解決するライフスタイルをデザインする。30種類程度しかライフスタイルが描けないというのはどういう意味だろうか。数か月間悩み、簡単なことに気づいた。第五ステップで描くライフスタイルが30種類しかないということは、第三ステップで発見した将来問題も30種類しかないということだ。将来問題の見つけ方が甘いのだ。それではなぜ将来問題が見つからないのか。それは将来問題を抽出する根拠となっている環境制約条件の理解が甘いからである。私は再び環境制約条件を理解する努力をし、現在の暮らしの中で隠れている将来問題を探そうとした。その結果、環境制約条件は人口、資源、エネルギー、地球温暖化、水、食料、生物多様性などその他の7つのリスクに分けて整理していたが、実は、資源問題だけ考えたり、エネルギー問題だけ考えたり、と融合領域の問題を見落としていることに気づいたのである。この結果、数多くの将来問題を見出すことができ、それらを解決するライフスタイルも必然的に増えていった。これが一つ目の壁の正体である。この後、70種類くらい描いたところで、二つ目の壁にぶつかった。

 

コラム80

2021年1月26日

Backcastingからバックキャスト思考への道のり~ライフスタイルデザインの最初の壁~

 

ライフスタイルデザインという概念が誕生してから、しばらくの間、環境制約を根拠に未来のライフスタイルをデザインすることが研究のゴールとなった。環境制約にどのデータを使うのか。そのデータは過去の推移を未来に延長して得られたものから、地球1個分という条件であるものもあった。これらを環境制約条件と呼び、一旦、設定し、その条件の下、心豊かなに暮らすためには、どのような暮らし方になるのか、検討を繰り返した。即座に、最初の壁が現れた。全く、未来の暮らし方のイメージができないのである。多くの企業人に協力していただき、ハウスメーカー、県庁職員、電機メーカー、学生、営業マン、デザイナー、などなど職種や業種を変えて行ってみたが、いずれも何かにひっかかって出てこないようであった。私自身の例でいえば、最初にライフスタイルを10種類程度描くことは簡単であった。もともと頭の中にあったものを、つまり、誰かほかの人が考えたことが頭に残っていたからである。次に、アイディアが出なくなったので、都市住まい、田舎住まいというように住環境の条件を変えてみた。家族構成を変えてみた。ライフステージを変えてみた。これを繰り返すと、約30種類のライフスタイルを描くことができた。そこで、スランプに陥ったのである。この段階では一応スランプと呼んでおきたい。全くアイディアが浮かばなくなってしまった。そんなはずはない、ライフスタイルが30種類しかないはずがないと悩んだ。これが誰もがぶつかる最初の壁である。

 

コラム79

2021年1月13日

Backcastingからバックキャスト思考への道のり~ライフスタイルデザインの誕生~

 

Backcastingではゴールを設定する必要があるが、Robinson J.B(1982)の論文では「再生可能資源」、「ソフトテクノロジー」、「エネルギー生産の分散化」がゴールとして例示されていた。私はこれらの資源、技術、エネルギーシステムというレベルをゴールとするのではなく、さらに上位概念のライフスタイルをゴールとして設定すべきだと考えた。つまり、再生可能資源やソフトテクノロジーを用い、エネルギー生産が分散化された社会は、具体的にはどのような生活シーンになり、その中に含まれているライフスタイルはどのようなものだろうか、ということまで検討する必要があると考えたのである。ライフスタイルとは、例えば、「自然エネルギーをシェアするライフスタイル」、というような概念を指しており、具体的にどのような道具を使い、仕組みや制度を設け、どのような価値観で暮らすのかという具体的な生活シーンに含まれる概念である。これは既存の価値観の延長線上にあるのではなく、非連続に違いなく、しかし、何かを根拠に導出するのが良いと考えたのである。破壊的イノベーションに近い概念かもしれない。こうして、環境制約を根拠に、その条件の中で心の豊かさを最大限にするライフスタイルをデザインする方法、すなわち、バックキャストによるライフスタイルデザイン手法が誕生したのである。

 

コラム78

2020年12月18日

Backcastingからバックキャスト思考への道のり~ゴールは与えられるものではない~

 

Robinson J.B(1982)のEnergy backcasting A proposed method of policy analysisと題する論文によると、backcastingの第一ステップに(1)Specify goals and constraintsが挙げられている。これは後に訂正されていくのであるが、私は先にこの論文を読んでいたため、ゴールと制約が同時に書かれていることやゴールの特定方法に悩んだ。Backcastingが未来のゴールに向けて踏み出す第一歩を示す手法であるため、ゴールは誰かが書かなければならない。どのような方法でゴールを描くのか、これは重要な問題であり、最も大事なプロセスであることは明らかである。そして、「ゴールと制約」という語順も違和感があった。「制約とゴール」ならわかる。制約を根拠にゴールが決まるのか、ゴールが根拠に制約が決まるのか、どちらもあり得るため、そこから一歩も進めなくなった。ゴールを描くことが難しいのは一目瞭然であり、制約を考えるのはCO2排出量を削減するなど容易に想定できる。そこで、私は考えられる将来の環境制約を列挙し、その制約の下、ゴールを設定することを考えた。次の問題は、ゴールとはどのような形式で表現すれば良いのかである。論文に紹介されている事例を見ると、「再生可能資源」、「ソフトテクノロジー」、「エネルギー生産の分散化」であった。一つ目は物質、二つ目は技術、三つ目は概念や方向性である。これも私を混乱させた。これらの言葉の先にゴールがあるように思えたからである。利用資源を置き換えるのは部分的な話、テクノロジーを置き換えるのも部分的な話。分散化は方法であって、その結果、何らかの状態になるわけで、個人や社会のゴールではない。部分最適化に過ぎない。そこで、私はゴールの形式として、資源、テクノロジーを利用した上位概念にあたる暮らし方に着目した。ここから思わぬ方向へと展開していった。

 

コラム77

2020年11月29日

Backcastingからバックキャスト思考への道のり~初期のメソドロジー~

 

Robinson J.B(1982)のEnergy backcasting A proposed method of policy analysisと題する論文には、backcastingのステップが、(1)~(6)まで記載されている。(1)Specify goals and constraints, (2)Describe current energy consumption and production, (3)Develop outline of future economy, (4)Undertake demand analysis, (5)Undertake supply analysis, (6)Determine implications of the analysisである。このbackcastingはエネルギー政策を検討するための手法であるため、(2)で現在のエネルギー消費と生産を調査し、(3)で将来の経済のシナリオを作成し、(4)(5)で需要と供給の道筋を分析していき、(6)でインプリケーションを得るというのは理解できるが、(1)の「ゴールと制約の設定」については、メソドロジー的解説はなく、アウトプットの事例のみ提示されていた。何がゴールで何が制約なのか、定義は書かれていない。そして、列挙された「ゴールと制約」の最初の事例に、「完全に再生可能資源とソフトテクノロジーに基づく社会」があった。二番目には「エネルギー生産の分散化の加速」が挙げられていた。これらのどこがゴールでどこが制約なのか。ゴールと制約は何が違うのか。そもそも「再生可能資源」、「ソフトテクノロジー」、「エネルギー生産の分散化」というものが何を根拠に抽出されたものなのか書かれていない。どういうことだろうか。ここからしばらく産みの苦しみを味わうことになる。

 

コラム76

2020年11月15日

Backcastingからバックキャスト思考への道のり~出発地点~

 

2005年、社会人でも環境が学べるコースを立ち上げるため私は東北大学大学院環境科学研究科へ移った。このコースはe-learningも活用し、欧米の環境科学の専門家や活動家の講義を数多く受講するものであった。今ではオンライン授業が一気に普及したが、当時では新しい取り組みであった。私は講師の選定・交渉・撮影・調整なども行っていたことから、当時の先端を行く有識者から最新の情報を得ることができた。新鮮な気持ちで融合領域に飛び込んだのである。まず、「バックキャスティング」、「ライフスタイル」、「自然から学ぶ」という3つの言葉に出会った。私の中ではこれらはバラバラであったが、やがて切っても切れないものになっていく。その当時、日本でも多くの環境科学の有識者はバックキャスティングという言葉を使っていた。しかし、具体的な手法論はどこにも書いていない、誰も語ってはいなかった。そこで、バックキャスティングを調べると必ず登場するスウェーデンの団体を訪問し、バックキャスティングの手法の手掛かりを探しに行った。ビジネスで使用しているというので、ノウハウが蓄積しているはずだ。しかし、私が未熟だったためか、収穫はなかった。繰り返しやる必要がある、ということだけが脳裏に刻まれ、何の意味がある手法なのか検討もつかなった。あっという間に頼る人がいなくなり、自分自身でバックキャスティングという言葉を論文、書籍などから探そうとした。そこで、見つけたのがRobinson J.B(1982)のEnergy backcasting A proposed method of policy analysisと題する論文であった。

 

コラム75

2020年10月31日

バックキャストのルーツ

 

現在、553件のバックキャスト関連論文・書籍が存在する。これらの論文について年平均被引用数を見ると、上位20の論文が極めて他の論文に引用されている。これらの論文は質が高いと解釈される。この質の高い上位20位の論文は、過去のバックキャスト関連論文を引用して論を展開しているはずであり、調べてみると、Robinson J.B(1982)のEnergy backcasting A proposed method of policy analysisにたどり着く。何も引用せずに用いている論文が数件あるが、それ以外はこの論文を起源とする。しかし、実際は、それよりも古いバックキャスト論文・書籍が存在する。Robinson(1982)によれば、Amory Lovinsが1976年、1977年に日本やカナダを事例にバックキャストを適用して分析したようであり、また、Backwards-looking analysisという言葉が使われ、分析に主眼が置かれているのがわかる。1973年にCole H.S.D. and Curnow R.C.が”Backcasting” with the world dynamics modelsを発表している。1974年にはBela GoldがFrom backcasting towards forecasting を発表しており、その中に、既にBackcastingはwidely used methods of estimating probable future adjustment pathsと記載され、広く使われていると書かれてある。また、Gold B(1964)Industry growth patterns: Theory and empirical findings. J. Ind. Econ., 53-73でBackcastを導入したと書かれてある。私はRobinson(1982)を引用し、バックキャスト思考を考案した。当時のバックキャストのステップが具体的に書かれてあるからである。

 

 

コラム74

2020年10月13日

90歳が私に伝えようとしたこと~毎日欠かせない大事なこと~

 

日本の戦前の暮らしの特徴に、日々の水汲み、手入れ、挨拶がある。その家の嫁が毎日欠かさず行ってきたことである。実は、この3つのことが暮らしを支えている。人は生きていくために水を飲む。水は、家族の飲み水、洗濯、風呂に使う。洗濯、風呂に毎日使わないとしても、家族の飲料水は不可欠である。次に、手入れは物を長持ちさせるのに不可欠である。手入れをしなければ、あっという間に自然の作用によって物は朽ちていく。そして、最後は近所の人との信頼関係を維持するために挨拶やコミュニケーションが必要である。これを怠るといざという時に支え合いができない。つまり、水汲み、手入れ、挨拶は、それぞれ家族とのつながり、自然とのつながり、地域とのつながりを良好に維持するために不可欠なことであり、暮らしを強固に支える基盤である。これを戦前の暮らしでは多くが各家の嫁が担ってきた。しかし、毎日欠かせないことは負担が大きい。将来の環境制約下で持続可能な暮らしを実現するためには、この負担をどのように平準化していくかを考えなければならない。これがライフスタイルデザインをする上で解決しなければならない重要課題である。

 

コラム73

2020年10月4日

90歳が私に伝えようとしたこと~二つの正しくなかったこと~

 

戦前の暮らし方の中で、ネガティブな感情が湧き出て爆発してしまいそうな状態になることがある。戦争のことと嫁のことである。太平洋戦争が始まる前に成人していた人をヒアリング対象としていることから、ほとんどの90歳の男性は戦争に行っている。ご本人はご存命なので、ほとんどが死ぬ思いを体験し、奇跡的に生還している。奇跡は1,2回ではない。3回命拾いしたという方が何人もいた。そのぐらいの奇跡が起こらないと戻ってこれなかったのだろう。90歳ヒアリングは戦前の暮らし方の調査を目的にしているので、本来は戦争の話を伺うべきかもしれないが、それは別の機会にということで日常生活の話を伺ってきた。同じ地域に住んでいた仲が良かった友達が10人亡くなった。皆で並んで遺骨を出迎える。軍役の義務が重たかったという。もう一つが嫁のことである。お風呂に入るのは最後、水回りの仕事は嫁の仕事、嫁姑問題などである。戦前の暮らし方の中でどの家も役割分担がなされ、暮らしていたようだが、嫁の役割は何とも最適解には見えない。90歳になってもふつふつと怒りと共に思い出されることが、持続可能な暮らし方であるはずがない。実際に、三重県での海女さんへのヒアリングでは、男女がひっくりかえった役割分担になっている地域もあった。つまり、嫁が嫌な役割を分担するという暮らし方は、自然に寄り添う暮らしの中では最適ではないという証拠である。未来の持続可能な暮らし方を考える人は、昔が何でも良かったという認識は改めないといけないと思う。90歳から教わった「自分次第だよ」「工夫しなさい」「勉強しなさい」という数々の言葉は、このことを指していたのかもしれない。

 

コラム72

2020年9月21日

90歳が私に伝えようとしたこと~昔も今もどちらも良い~

 

90歳ヒアリングでお会いした高齢者の方々に、ヒアリングの最後の方の質問で、「今のような便利な暮らしと昔の暮らしとはどちらが良いと思いますか」と尋ねると、ほとんどの方々は、「どちらも良いですよ。今は便利になって本当に楽になりました。ただ、昔も昔なりに違った意味で良かったですよ。」と回答される。ここからは私の解釈になるが、90歳が私に伝えようとしたことは、便利だったことは素晴らしいことであり、一方で、不便の中にも良いことはたくさんあるということだと思う。今はお金でできたものを購入できる。昔は、自分で手づくりするが、手づくりには愛着がわく。今、便利を手にしたから、手づくりを不便だと解釈する。昔は当然のことだったので、不便だとも思っていない。何に重きを置くかという「価値転換」が起こっていることを忘れてはならない。そして、「価値転換」は自由に起こすことができる。また、強い制約により起こることがある。そのため、再び手づくり品に価値が出てくる可能性は十分にある。電車移動ではなく、歩きや自転車移動に価値が置かれる可能性は十分にある。コロナ禍では実際にそれらが起こったのは多くの人が体験したところであろう。これまでもコラムに書いてきたバックキャストによるライフスタイルデザインとは、地球環境制約を根拠に、「価値転換」を自ら起こしていくプロセスである。

 

コラム71

2020年9月11日

90歳が私に伝えようとしたこと~簡単に崩れていくものだ~

 

海沿いで山に囲まれたある地域では、戦前までは、海の幸・山の幸、米・麦もあり、畑をして野菜を育てる自給自足の暮らしをしていた。まさに、豊かな暮らしである。どのようなお店がありましたか、と尋ねるとお店の数も少ない様子であった。その中に、1軒の八百屋があったというのである。自給自足をしている小さな集落に八百屋が1軒とはどういうことなのか。90歳前後の話をしてくださった方が言うには、その八百屋では飴玉を売っていたというのである。野菜は家でつくっているので最初は不要だが、飴玉は珍しく、食べてみたいので買うのである。そして、その店に何度も足を運び、飴玉を買ううちに、八百屋で売っているよそで育てた野菜でも買ってみようかと手を伸ばしたそうだ。これが自給自足の暮らしが崩れていく最初の第一歩となる。それでも自給自足の暮らしが一気に変わることはないのだが、徐々に変化していくことになる。最終的には、その地域で八百屋は1軒だけは存続できたそうだ。その地域に伝わる在来知の多くは、大きな痛みもなく、失われていったのである。今後、私たちの社会で起こす必要があるライフスタイル変革もこのように痛みもなくいつのまにか変わっていくことができないものか。90歳の方々は私たちに重要な示唆を与えてくれる。

 

コラム70

2020年8月29日

90歳が私に伝えようとしたこと~自然との距離感~

 

日本の戦前の暮らしでは、人と自然との距離が興味深い。一つ目の特徴は、自然は恵みを与えてくれるが脅威にもなる、という両面への理解である。二つ目は、自然を溺愛するような極端な感情はないが自然の美しさに感動する一方、蝉を食べた、蛍を取ってきてビン詰めにすることもできる点である。鶏や豚を解体し、余すとことなく食べつくす。三つ目は、先祖を敬う長期的な時間軸を持ちながら、一期一会のように今を大切にする点である。自然の循環と各生命の時間軸にあった考え方である。これらの相対する考え方の共存は、自然の中で生きる強さにつながっている。社会的レジリエンスの根底にあるものである。相対する考え方があれば、どちらかに偏っていくことはない。ちょうどよい距離感を保ちづけられるのである。90歳ヒアリングを始めたころは、どちらが正解なんだろうと、考えていた頃もあったが、これは両立に意味があるのではないかと最終的には思うようになった。まだまだ学ぶべきことはたくさんある。

 

コラム69

2020年7月30日

90歳が私に伝えようとしたこと~遊び心~

 

90歳の方々は遊び心が満載である。あるテレビ番組の90歳ヒアリングの取材の時のこと、これまでに川でおぼれている人を救ったことが3回くらいはあるという話になった。人が流れてきたので、救ったのだという。かわいそうだったので、着替えをするために家に連れて帰ったのだ。人の命を救うといういい話だったので、聞き手側はその話に引き込まれてた。カメラがゆっくりとその方に近づき、ぐっとその方の顔にクローズアップしていった、その時である。90歳の方が「次の瞬間、その女性の着物がハラリと落ちて、全部見えてしまった、驚いたよ。わっはっは。」と大笑いしていた。結局、そのシーンはテレビで使われることがなかった。カメラマンはやられたという顔をしていた。他にも、「昔は、蛍をとって、家に持ち帰り、夜に蚊帳の中に放すと綺麗に光るんだよね。」という話があると、聞き手は、「次の朝どうなっているのですか?」と尋ねると、90歳の方は笑顔で、「皆死んでるよ」、とあっさり言うのである。ネガティブな話を瞬時にポジティブにしてしまうのは、制約の中で豊かさを求めていた証拠だと思う。90歳の方にお会いする時はいつも、「遊び心を持ちなさい」と言われている気がする。

 

コラム68

2020年7月22日

90歳が私に伝えようとしたこと~感謝しきれないので物にも感謝する~

 

100歳の方が「私は90歳までは自分一人で生きていけた。自分で食事をつくり、物をつくり、誰にも迷惑をかけずに生きてきた。しかし、その後、目が見えなくなり、家族の助けなしでは生きていけなくなった。だから、毎日、家族に感謝している。いつも感謝している。最近は感謝しきれないので、物にも感謝するようになった。」とおっしゃっていた。このエピソードはいろいろなところで話をしているが、物に感謝をする気持ちとはどのようなものなのか考えさせられた。物は誰かが作ったものである。お茶碗を使えば、それを作った人に感謝する。木に感謝をする。そういうことなのだと思う。ここで100歳の方が話題にしていたことは、44の失われつつある暮らしの価値の12番「自然物に手を合わせる」、44番「生かされて生きる」に関係するのだと思う。多くの90歳の方々は、「生かされている」という感覚があることを述べていたことを思い出す。

 

コラム67

2020年7月9日

90歳が私に伝えようとしたこと~誰かが背中を押してあげないとうまくいかない~

 

90歳ヒアリングが終了した後に、90歳の方との別れ際に、「昔と今の大きな違いは何ですか?」という問いに対して、「今は求める者には与える社会だが、求めない者には与えない社会だ」という回答をされた。例えば、昔は新しいお嫁さんが村に入ってきた場合、おせっかいおばさんがおり、井戸端会議に参加するようそのお嫁さんの背中を押してあげたという。また、「醤油の貸し借りは簡単ではない」という話もあった。醤油を借りに来た人が小さかった頃から見てきており、その人の性格を熟知しているから、その人の気持ちを察して、気持ちよく醤油を借りて帰ってもらうことができるのだ、という。これら二つの話は共通点があると思う。コミュニティを維持するためには、そのような努力をして初めて維持されるということだろう。背中を押してあげる人たちはコミュニティのありたい姿をイメージできているということだ。今、都会でコミュニティのありたい姿をイメージできている人がどれだけいるだろうか。

 

コラム66

2020年6月22日

90歳が私に伝えようとしたこと~ポジティブに捉えること~

 

戦前の暮らしは、今の暮らしと比較すると不便であった、というのは利便性という側面のみで評価をしている表現である。90歳の方々は、「毎日の水汲みは大変だったが、水場で同世代の人と会えるから楽しみだった。」「友達と数時間歩いて神社参りをしたものだ。1日がかりだったけど、それが楽しみだった。」「干し柿をつるすのは手が痛くなるほど大変だったが、つるし終わった時の綺麗な色が広がるのを見た時は本当に安心した。」というように、辛いことのそばにある心の豊かさを必ず指摘する。物事をポジティブに捉えようとするのである。作業をしながら歌う労働歌も同様である。辛い単調な仕事をポジティブなエネルギーに変える工夫が随所にある。これらは長い間辛い経験を乗り越えてきた人々が暮らしの中に埋め込んできた暮らしの知恵である。90歳の方々は常に必ず物事の良い面悪い面を見ていた。「昔の暮らしと今の暮らし、どちらが良いですか?」という愚問に対して、「どちらも素晴らしいですよ」ということが、90歳が私に伝えようとしたことであったと思う。どちらの世界でも豊かさを見出せるということであろう。

 

 

コラム65

2020年6月8日

90歳が私に伝えようとしたこと~一期一会~

 

戦前の暮らし方を調査するために、日本全国に在住の90歳前後の方々へヒアリングを実施してきた。最初に始めたのが2008年冬なので、11年が経過した。その当時90歳の方は今ご存命であれば100歳を越えている。彼らが語る話の中心は、もちろん、戦前の日本の暮らし方である。今年からそれらの証言を残すために、本を書き始めている。600名以上の方々の暮らしに触れてきた。毎回、夢中で話を理解するよう一語一句逃さないように話について行こうとした。気づいたら、自分はいつも興奮状態になっていた。一通りの話が終わろうとするころ90歳の方々のやさしさを感じる。最後、お別れをするときに、「忘れていたことなのに、思い出させてくれてありがとう」「話を聞いてくれてありがとう」と私の訪問について心から感謝される。そして、「また来てね」とは言われない。お互いこの2時間が「一期一会」であると理解しているからだと思う。感謝の言葉がお別れの言葉であった。暮らし方の基本中の基本を教わった気がする。このような90歳ヒアリングに関して、10年経過しても気になって離れない言葉や90歳の方々が私に伝えようとしたことについてしばらく連載して、持続可能なライフスタイルについて考えていきたいと思う。

 

 

コラム64

2020年5月27日

コミュニティの萌芽

 

コロナ禍の中で近所の人の見え方が変わった。スーパーで買い物をするときに、レジに立っている人の手を触らないように、お釣りを受け取ろうとしている自分がいた。その人のしぐさを見ても、手に触れないようにお釣りを渡そうとしているのがわかるのである。近所を歩いている時も、知らない人とすれ違う時に、以前よりも早めにお互いが反応して、すれ違う時に距離を取ろうとしているのがわかる。今までは何気なく行って来た動作が、今、一つ一つ相手の心の中も気になるようになった。都会に住んでいると、相当怪しい雰囲気をしている人と接しない限り、その人の心を読み取るということはしない。むしろ、鈍感に振る舞っている。コロナ禍で急にこれまで接点がなかった近所の人と気持ちのやりとりをするようになったのは大きな発見である。これは、いわゆる、コミュニティの萌芽なのかもしれない。自分の命にかかわることに直面した時に感覚が戻ってきたのだろうか。これまでも地域でコミュニティの活性化の活動を行ってきたが、押すボタンを見直す必要があるかもしれない。

 

 

コラム63

2020年5月14日

ドイツの友人からの便り

 

ドイツの友人から便りが届いた。Zoomで近況を報告したいというものであった。コロナ禍の影響で自宅の地下室で睡眠時間を惜しんで、新ビジネスの準備を進めているようであった。外では、人に接することがコロナの感染の可能性があるので、距離をとって、暮らしているという。彼はお洒落なバーの写真を背景にして、実際はバーにいるわけではないのに、こちら側の視聴者から見ると、ワインを片手にZoomミーティングをしているように見せているのである。実際に地下室にワインなどを設置し、ワインを手に取り、友達を驚かせているのだ。そんなアイディアマンの彼は面白い提案をしてきた。私を世界のいろいろな人とつなげてくれるというのである。Zoomミーティングを毎週のように開催し、最初は、例えば、ドイツから始まり、次は、スロベニア、のようにZoomミーティングのメンバーをリレーしていくというものである。日本も通過するのであろう。徐々に参加者が増えていき、最終的には、世界各国の人と知り合いになれるというものである。彼は世界各国で仕事をしていたので、アイディア豊富な知り合いが多い。楽しみである。

 

コラム62

2020年4月21日

バックキャスト思考の広がり

 

新型コロナウイルスは、突如、通常の暮らしを激変させた。3密という言葉が生まれた「密閉空間」「密集場所」「密接場所」を避ける。これによりウイルスが広がるのを防ぐのである。新型コロナウイルスの影響が最も早く出始めたのは、高齢者施設との共同研究であった。私のケースでは、2月19日に高齢者施設側が決断を下し、2月、3月の2か月間のイベント中止、外部者の出入りを禁止するというものである。そのころから、急に、100名以上が集まるイベントが中止となり始めた。東京都が決断を出し始め、その後、杉並区もほぼ同時に検討が開始され、人が集まる行事は中止となっていった。2月27日には3月19日に開催される卒業式後の送別会をキャンセルした。その後、あっという間に、外出がほぼ禁止となり、3月下旬の1週間程度は今までに経験したことが無いほど暇になった。4月10日くらいから、一気にこれまでに経験したことが無いくらい、メールが飛び交うようになった。そこから、現在まで、通常の状態よりも忙しい日々が訪れた。アナログなコミュニケーションを主体としていた暮らしから、一気に、Web会議をするように以降したからである。今までほとんど使用してこなかったソフトを使い、在宅勤務なのに暇がなく働く状態にまでなったのである。Web会議はとぎれとぎれだと思っていたのが、今は意外とうまく会議が進行できるので、良いツールだと思うようになった。対面ではない良さを見いだせたのである。制約の中の豊かさとはまさにこのことである。バックキャスト思考があちこちに広がっているのが良く見える。

 

 

コラム61

2020年4月10日

気候変動とイノベーション

 

日本では紀元1世紀から7世紀まで寒冷期が続いた。7世紀から8世紀後半まで温暖になり、『続日本紀』などの文献の記載から、特に西日本に高温・乾燥が頻発したことがわかる。20世紀後半の現在の状態より高温であった。そのころ、干ばつ、飢饉、疫病が発生した。その少し前、6世紀末から8世紀にかけて巨大な木造の仏教建築、神社、宮廷・貴族の邸宅が建立され、植林せずに木材用の森林資源が伐採されていった。森林が持つ水源涵養機能がなくなり、さらに、畿内ではほぼ恒常的に水不足になった。この資源枯渇の時代の中で住居が森林資源を有効活用する工夫がなされ、日本独自の文化である畳の誕生につながる。

しかし、9世紀の平安時代に入っても温暖な気候は続き、干ばつ、飢饉、疫病は収まらず継続していったという。ところが、1250年から1350年までの期間に巨大火山の噴火が続き、硫酸エアロゾルが成層圏に漂い続け、温暖期から寒冷期へ移行した。これは1300年イベントと呼ばれる。冷夏、長雨、疫病、干ばつによる飢饉発生年(1481年~1601年)を挙げると、1482年、1488年、1494年、1501年、1503年、1511年、1514年、1517年、1518年、1525年、1530年、1535年、1536年、1539年、1544年、1557年、1558年、1561年、1566年、1573年、1582年、1584年、1595年、1601年である。ここまで頻繁な飢饉は想像できない。江戸時代にもさらに大飢饉は続く。天明の飢饉は東北地方だけで30万人以上、天保の飢饉では東北地方で10万人が亡くなった。1993年以降は安定しているが、自然はおそらく安定し続けてくれないだろう。長く使用され続ける畳のようなイノベーションも必要である。

 

コラム60

2020年3月18日

文化とは

 

文化とは、文化人類学の父と言われる19世紀英国の学者エドワード・タイラーによる定義では、「知識・信仰・芸術・法律・風習・その他、社会の成員としての人間によって獲得された、あらゆる能力や習慣を含む複合体の全体である」。もっとも簡単に言えば「生活様式」という意味で使われる(『文化人類学入門』(祖父江孝男著,1979))。つまり、人間は文化を持っている、ということになる。一万数千年前の第四氷河期の末に、モンゴロイドの拡散という事実があり、大規模な人種の移動によって、文化が移動した。やがて、異なった文化を持った人々の集団どうしが互いに持続的な直接的接触をした結果、その一方または両方の集団のもともとの文化型に変化を起こす現象が起きた。それをアカルチュレーション(文化変容)と呼ぶ。特に、文明と無文字文化の接触で起きた。その移動が口承で現在まで伝えられている。『一万年の旅路』(ポーラ・アンダーウッド著,1998)に詳しく書かれてある。人が交流するところで文化が栄えるということはよく聞くことであるが、実は、過去には文化同志の接触によって、一方が簡単に無くなってしまったこともあったのである。しかも、数十人の集団同士が接触して、アカルチュレーションが起きていたのである。言葉で表現しにくい文化も伝播させるためには、文字にする、あるいは、明示化することが重要なのだと改めて気づかされた。

 

 

コラム59

2020年3月13日

ワークスタイルデザイン

 

厳しい環境制約を受けると、働き方はどのように変わるのだろうか。東日本大震災から9年が経過し、その2011年頃に検討、執筆していた一つの本を思い出した。『未来の働き方をデザインしよう-2030年のエコワークスタイルブック-』(日刊工業新聞)である。厳しい環境制約を想定し、バックキャストで数多くのワークスタイルをデザインした。この本には50種類の新しいワークスタイルが紹介されている。この中には、ワーケーション、シェアオフィスなどの要素も入っている。この時デザインしたありたい60種類のワークスタイルにどのような要素が含まれているか分析すると、「貢献」「心のゆとり・楽しみ」「自然」という共通要素が見つかった。その時、私は「ワークスタイルデザインとは、環境制約のもと、社会に対して仕事を果たすために踊り手(働き手)に対して脚本を書くことと、その踊り手がプラスαを引き出せる「隙間」をどのように設計するかということ」と書いている。その隙間を心のゆとりや楽しみで埋めるのか、自然で埋めるのか、いろいろな埋め方があると思う。管理者や経営者側が、踊り手(働き手)が自発的に個性を出せる隙間を準備するのも良い方法だと思う。ただし、それは隙間である。大きな遊びスペースを与えることとは違う。

 

 

コラム58

2020年2月25日

浴風会との地域コミュニティ創生プロジェクト

 

社会福祉法人浴風会は、関東大震災後の復興のために設立され、地域住民を支えた歴史を持つが、2025年に100周年を迎える。そして、時代は変わろうとしている。持続可能な社会の実現のために、多世代が参画し、自然資源を最大限活用し、コミュニティで支え合いながら、共に地域をつくっていく地域共生社会を目指している。このような背景のもと、任意団体である未来の暮らし創造塾杉並(協力:東京都市大学古川柳蔵研究室)が、社会福祉法人浴風会と地域コミュニティ創生プロジェクトを開始する。まずは、浴風会メンバー及び地域住民(子どもを含む多世代)らが支え合いながら共に農作物つくる体験をする。収穫時期には地域住民と共に収穫し、収穫イベントを行い、近隣の小・中学校に環境教育等の学びの機会も提供する。今は、新型コロナウイルス対策のためプロジェクトは中断しているが、新たな動きになりそうだ。

 

 

コラム57

2020年2月13日

観光地ではなく、ライフスタイルを発信する

 

北上市では2014年から北上ライフスタイルデザインプロジェクトを実施してきた。最初は、自治体職員や民間機関の職員を対象にバックキャストを用いたライフスタイルデザインを行った。その次のステップに、モデル地区として口内地区に定め、地域住民と共にライフスタイルをデザインし、そこに向かうためのイベントを企画した。その後、他地域へ波及した「秘密基地プロジェクト」が誕生した。さらに、場所を北上の観光地の要でもある展勝地に変え、この地域に伝承されてきた旧正月での行事など北上のライフスタイルをみちのく民俗村で体験できるプログラムを計画した。これが発展し、東京の企業人の研修の場としてみちのく民俗村がうまく機能した。さらに、2020年2月9日では北上市の岩崎地区の古民家を改築した古民家カフェKobiruにて地域で活躍する活動家4名と共にトークショーを開催した。北上のライフスタイルを地域で共有するイベントである。ポジティブに夢を語る4名のお話は聞いていて気持ちがいい。北上ライフスタイルデザインプロジェクトは今後このように観光地として宣伝するのではなく、北上市で活躍する人のライフスタイルを外部に発信していくことにも力がそそがれる。

 

 

コラム56

2020年1月31日

地域の知らない人と挨拶をする

 

秋田県湯沢市で2020年1月25日、26日に、ゆざわ未来の暮らしシンポジウム2020が開催された。1年ほど前から、バックキャストと90歳ヒアリング手法を用いて、未来のライフスタイルをデザインし、それを実現するための活動を開始している。今回のシンポジウムはそのキックオフシンポジウムにあたる。湯沢には例年のような積雪はほとんどなく、住民も訪問者も恐れまで感じるようになっている。このシンポジウムでは、東京からの参加者がいたので、湯沢が初めての人のために、湯沢とはどういうところか、どんな暮らしをしているのかを話題にした高校生とのトークショーを行った。そこで、一つ印象に残ったのは、この湯沢では町を歩いていると、知らない人から声を掛けられるそうだ。「お帰り」「ただいま」の挨拶である。高校生によると、最初は驚きもあったが、直ぐに慣れて、普通にそのような挨拶をするそうだ。そして、高校生に湯沢のいいところを尋ねると、そのような人の温かさを第一に挙げる。このような人間関係が可能なのは、複数の理由があると思われるが、都会に住んでいると、少し恥ずかしいと思ってしまう。このような高校生の素直な心に触れることができたのは大きい。東京から参加した方々はそこの部分に魅力を感じ、もう一度、湯沢に来てみたくなった、と言っている。

 

コラム55

2020年1月14日

生き方と生活様式の違い

 

ライフスタイルデザインという言葉は私が使いだした言葉で、エコデザインという物に対する環境配慮を伴うデザインでは十分ではないことから、物とそれを使う行動や価値観を含めたライフスタイルデザインという概念を導入した。ライフスタイルは日本語では生活様式という言葉が使われる。生き方や生き様という言葉もあるが、これはこの文脈ではライフスタイルではない。オントロジー工学を利用して人の生活シーンを明示化すると、生活シーンは行為(行動)と方式(方法や技術)に分解できる。これを行為分解木と呼び、ゴールを達成するためのツリー状の行動と方式の関係を明示化できる。上位の行為は下位の行為と方式を概念化したものであり、この行為分解木を制作するプロセスで日常生活にある概念が明示化されていく。ライフスタイルという生活様式も概念であることから、行為分解木で明示化できる。行為分解木のリーフと呼ばれる枝葉の行為は具体的に人がゴールを達成するために行動する内容となる。下位の方に、例えば、CO2を排出する方法で移動する等の環境負荷を与えるプロセスが明示化される。これが生活様式である。上位には旅行するや楽しむのようなCO2排出が明示化されていない概念が並ぶことになる。旅行するのは何のためか、楽しむのは何のためか、それを明示化していくと上位にはその人の生き方や生き様という言葉に近づく。ライフスタイル変革に必要なのは、実は上位の概念の転換ではなく、中位から下位における環境負荷を与える方式や行為の部分の転換なのである。

 

 

コラム54

2019年12月13日

洪水による被害

 

2019年には複数の台風が各地に被害をもたらした。栃木市の被害状況を視察したが、決壊した堤防から水が流れ、栃木駅周辺にまで水は浸水していった。夜中だったこともあり、浸水してきたことに気づいた住民は蔵の2階に避難して長い時間そこで過ごした人もいる。栃木市には大型店舗が多く、数か月が経った今12月にも店を閉めている大型店舗がある。多くの家の車が水に浸かった。その後、車が暮らしに必須なため、中古車が売れたそうだ。台風が近づいてくることを知り、多くの市民が市役所の駐車場に車を非難した人もいると聞いた。今後、自然災害が増えてくることが予想されるため、これらの教訓を生かして、より良い暮らし方へと転換していくのが良いだろう。地球温暖化の影響を受けて、洪水が増えることが予想されている。湖の底の土を分析することで、縄文時代に地球温暖化が進行した時に、どの程度、洪水が起こったか、蓄積した土砂を見るとわかるという。それによれば、地球温暖化によって、今の自然災害の比ではない大洪水が過去に起こったことが証明されている。自然災害にどのように向き合っていくのか、かつて、日本人が実践してきた、米や薪は1年分保存、漬物など保存食は手間ひまかけてもつくる暮らしを真剣に考える時が来ていると思う。

 

 

コラム53

2019年12月2日

ナキリデマルシェ

 

伊勢志摩地域の志摩市大王町波切地区で2019年11月30日に「ナキリデマルシェ」が開催された。これは、古川が波切ライフスタイル変革プロジェクトを立ち上げて約3年が経過し、現在は、地元の人が実行委員会を結成し、アートに関する様々な取組や地域おこしを進めているが、その一連のイベントの一環である。その原点は、バックキャストとライフスタイル変革にある。将来問題を解決するための活動を行う。この「ナキリデマルシェ」は、午前中に開催されたが、地区中のおばあさんが集まったのではないかというほどにぎわっていたそうだ。この波切は高齢化が進み、シャッター街になり、年々、スーパーが店を閉めている。買い物する場所がなくなっているのである。高齢者は車の運転もできないので、買い物ができなくなってきた。そのため、地元の食材を買うニーズがかなり膨れあがっており、多くの高齢者が集まったのである。今回のマルシェは、第1回目だったこともあり、需要と供給のバランスがあっていなかったそうだ。需要が多く、供給が少なかった。今回のにぎわいを考えると、月一くらいで開催した方がいいのではないかと実行委員会のメンバーは語っていた。恐らく、他の地域でも同じような状況にあるに違いない。

 

 

コラム52

2019年11月20日

お金との関係を減らしたい

 

移住・定住はライフスタイル変革事例の一つである。都市に住んでいた人が、全くライフスタイルが異なる田舎に移住していくからである。価値観も異なり、生活のスタイルが変わるのである。一人の移住者がこのような言葉を使っていた。移住の理由は「お金との関係を減らしたい」からであると。都市での買い物は、物の由来がわからないものを大量に消費しつづける、常に真新しいものを身に付けよ、と聞こえてくる感じに疑問を持っていたというのである。遠くから来るものを当たり前のように食べる生活に疑問を持ったというのである。一言で言えば、人間らしい暮らしをしたい、とおっしゃっていた。田舎暮らしはこのような暮らしとは正反対である。誰が育てた野菜か、地産のものを大事に、感謝して食べる。新しい物よりも継承されてきていることが重んじられる。今、地球上のCO2の濃度が上昇している。やがて、サンゴ礁が消え、魚が少なくなり、海水が酸性化し、貝が溶けてしまう。地球温暖化で異常気象が増え、食料の確保もままならなくなれば、田舎暮らしも危機的状況になるだろう。都会暮らしと田舎暮らしのどちらも選べなくなる状況がやってくる。まずは、地球環境問題の根本原因である地下資源を基礎とした現在のライフスタイルを変革していかなければならないだろう。

 

 

コラム51

2019年11月5日

波切神社で応援祭

 

志摩市ライフスタイル変革プロジェクトを開始して以来、約3年が経過した。志摩市の大王町の波切地区に「波切ライフスタイル変革プロジェクト」が立ち上がり、地域住民主導のプロジェクトが継続している。この地区にある波切神社の宮司さんは若い男性であり、数年の内に、赤字になり、どうすれば良いのかわからない状況という。そのような神社は日本全国多数存在するはずである。この神社への応援と「ジンジャエール」を掛けて、祈祷済みのジンジャエールに学業成就や無病息災など五種類のお守りをつけて300本を1本300円で販売し、「恵方を向いて一気飲みすれば願いが叶う」として、境内に専用の願い掛け所も設置したという。ついに、ここまでたどり着いたが、3年前の会議でこの宮司さんがネガティブなことばかりを発言しているところに、プロジェクトの事務局長が、そんなネガティブな話はつまらん!と一蹴し、そんな何もしなければだめになることくらいわかっとる、と場の空気が一転した。変革しなければならないことが、プロジェクトメンバーに共有された瞬間であった。祭りに関係するライフスタイルデザインは、これまでもレアケースであったが、ついに、2019年11月3日に波切神社で実ったのである。

 

 

コラム50

2019年10月25日

地方生まれ地方育ちの高校生の求めるもの

 

地方生まれ地方育ちの高校生に、この地域の課題や魅力を聞いた。一番の魅力は、地域での人と人とのつながりが密なことだ、と発言した高校生がいた。その後、多くの高校生に同じ質問をすると、そうだそうだと賛成した。これは私にとって意外であった。地方の高校生は、都会の利便性、流行りを求め、地方の特徴である人との関係の親密さを嫌うのが一般的かと思っていたからだ。一つは、高校生は社会のトレンドをいち早く察知し、表現すると言われており、そのトレンドが出てきたのかもしれない。もう一つ、調査をして明らかになりつつあるのが、社会人が考える最重要課題は利便性が失われることであるが、高校生は利便性が失われることを最重要課題とは思っていないということである。高校生が今の社会の価値観に染まらなければ、日本は大きく持続可能な暮らし方へ方向転換する可能性があるということだ。

 

 

コラム49

2019年10月9日

移住者とは

 

ライフスタイル変革の研究の一環として、移住者調査をしている。地方で圧倒的に人口減少の波を受けているところは、ライフスタイル変革を先導する人材もいない。その活力もない。そのような状態では、何も活動が開始しない。どうしても地域外から移住者の役割が重要になる。しかし、移住者が移住を考え始めたきっかけは、ほぼネガティブな理由である。都会暮らしのスピードについて行けない、激務で体がもたないというものが多い。睡眠時間2,3時間がずっと続く暮らしに耐えられない、というのは当然のことである。そのような暮らしから抜け出した人の話を聞くと、まさか、移住して2,3年して、今のような自然の中で暮らしているとは想像もできなかったというのである。家族とのつながりも強化でき、自然の中で綺麗な星空、音、においを楽しみ、人とのつながりを実感できるからと満足している。そんな状態にあること自体おかしいと思う。体を酷使ししてることを感じ、自然が不安定になり、自然災害が増え、取れる魚の種類が変わり、生き物が減って行くことを多くの人が察知している。しかし、それを危ないと思わないのか、危険を察知できなくなっているのか。行動する人は少ない。移住者の実態を調査すればするほど、不安を通り越して、恐ろしさを感じる。

 

 

コラム48

2019年9月20日

自分流でSDGs時代を駆け抜けろ!

 

杉並区社会教育センター主催の新しい講座が、2019年9月19日にセシオン杉並でスタートした。定員30名のところ、50名を越える応募があり、抽選となった。地球環境制約が一段と厳しくなる次の10年を華々しくゴールテープを切りたい人、社会貢献したいと考えている人を対象に、具体的にどのような知識やスキルを持てば実行できるかを学ぶ初級コースである。全体で4名の専門家を講師としてお招きし、私がナビゲータを務める。第1回目はSDGsとは何かを学び、第2回目は地方と都市を連携し、子どもに町ぐるみで自然体験させて持続可能な暮らしに重要な価値観を身に着けてもらう活動事例の紹介、第3回目はコレクティブインパクトを最大化する地域おこしの事例の紹介、第4回目は具体的なプログラム設計の方法について、そして、第5回目に古川からバックキャスト思考と、次へのステップや展望を示す。この講座は、少し若い人も増え、また、高校生の参加もあると聞く。楽しみである。

 

 

コラム47

2019年9月10日

大津市企業局が取り組むSDGs

 

琵琶湖がそばにある大津市では、企業局が幼稚園でのマイボトル制作プロジェクトを始めた。物を大切にする気持ちは、ごみを減らし、琵琶湖の保全につながると考え、瀬田東幼稚園や大石幼稚園で、園児たちが「ありがとう」の気持ちを絵にしたマイボトルを制作した。親からすると「いつもご飯を作ってくれてありがとう」「いつも送り迎えしてくれてありがとう」という当たり前のことであるが、感謝され、うれしい。紙に絵を描き、それをマイボトルのケースの間に差し込む。自然が豊かな地域ほど、自然の良さに気づかないことがある。おいしい水が当たり前になり、水の無駄遣いをしてしまう。生活に溶け込んだものを、あえて、意識する暮らしが、心豊かな暮らしを持続する。このような、我慢ではなく、わくわく楽しみながら地球環境負荷を下げようとする取り組みは、広がっていく可能性が高いだろう。

 

 

コラム46

2019年8月28日

沖永良部島×カリブ海諸国2か国との環境会議

 

沖永良部島の二町(和泊町・知名町)と、カリブ二カ国(ドミニカ国、グレナダ)と、海に囲まれた離島地域ならではの環境課題とそれに対する取り組みや暮らし方について、事例紹介や意見交換を行う環境会議が2019年8月27日に沖永良部島で開催された。沖永良部島の海岸には漂着ゴミがあり、アジアからの使い捨てプラスチックゴミ、漁具などが嵐の度に散乱する。回収方法の事例として、小学生の女の子が3人、毎日15分ずつゴミ拾いをする活動を始め、その処理費用は自分のお小遣いから出すという活動が紹介された。自由研究ではバーコードを調べ、どこの国から流れ着いたか調べた。その後、海流を調べ、流れてくる理由を自分で理解していったことが紹介され、会場のメンバーに感動を呼んだ。彼女たちは、その後、暮らしの中の様々なものごとに着目し、沖永良部島でできた食べ物を食べる地産地消を心がけるようになり、環境問題を考慮した暮らし方に変わっていったことが紹介された。この環境会議では、最終的には、プラスティックごみ、マイクロプラスティックの問題は、そもそも人間のライフスタイルが変化したことが問題であり、ライフスタイルの見直しの必要性が共有された。特に、ライフスタイル視点にカリブ二か国の代表は関心を示していた。

 

 

コラム45

2019年8月8日

ドキュメンタリー映画制作

 

ブラジルからドキュメンタリー映画を制作するために、撮影班が日本を訪れた。テーマは、自然から学び暮らしの見直しをする活動である。自然から学ぶネイチャーテクノロジーの概念や90歳ヒアリング活動も含まれる。私の生い立ちにまで踏み込みできたので、いったいどんな映画ができるのか楽しみである。撮影の内容は、こちらでいくつか準備した。

例えば、東京都市大学の古川研の学生と共に、子どもたちにどのように自然から学びを与えることができるのか、若い意見を出してみることにした。自然から離れた暮らしを近づけるためには、ゲームなどの今の若者が入りやすいものを利用するのが良いだろうという結論であった。未来の暮らし創造塾杉並のメンバーでは、杉並区でどのような方法で90歳ヒアリング活動を広げることができるのか真剣に議論した。北上市では秘密基地プロジェクトのイベントに参加し、里山を登り降りし、昔の暮らしをお年寄りから聞き(80歳を越える方が里山登りを先導)、子どもたちがベンチを手づくりし、料理を作って基地ゴハンを食べた(熊鍋も)。

概念を具体化するときに、多くの発見があるものだ。撮影班は、映像を通して、ライフスタイル変革の具体的な活動に触れ、新しい何かを見つけて帰ったに違いない。

 

 

コラム44

2019年7月22日

Biologically inspired design

 

Biologically inspired designと呼ばれる生物模倣の研究分野がある。生物からアイディアを発想し、技術開発を行い、人間界で問題解決に応用するのである。例えば、ミミズは、蠕動(ぜんどう)という方法で移動する。ミミズを眺めていて、この運動に関心が生まれ、この動きを「人工筋肉」などで再現したミミズ型ロボットの開発に取り組んだという。その後、マスコミに取り上げられ、多くの企業が、菅の清掃に使えないか、月面で穴掘りに使えないか、など応用方法の提案が相次いだという。なぜだろうか。中央大学教授と議論した。面白い仮説が生まれた。まず、多くの企業人はミミズをじっと見ていることはこれまでなかったのではないか。田舎に住んでいる人もそうかもしれない。また、ミミズをじっと見たとしても、そこから応用シーンがイメージできなかったのではないかということである。ミミズ型ロボットは、ミミズの動きの一部を強調してつくるので、機能が明確になるという。その結果、ロボットを見ていると、ミミズ型ロボットの応用方法がイメージできたのではないかということである。自然から学ぶものづくりを促進する方法の一つが見えた気がする。

 

 

コラム43

2019年7月8日

ヤドカリが住む沖永良部島の砂浜に漂着するプラスチックごみ

 

沖永良部島の浜には、中国や韓国、そのほかのアジアの国から排出されたプラスチックのごみが漂着する。掃除しても次の嵐で再び漂着する。住民は気づいたら拾って片づけるのであるが、際限ないこの行為をどう乗り越えていくのかが重要な問題となっている。今は、お金をかけて自治体が嵐の度に漂着ゴミを片づけるというソリューションしかない。しかし、今、沖永良部島の自治体や住民と連携し、片づけるという行為に別の意味づけをすることによって、楽しみながら回収する方法を研究している。まずは、「ヤドカリング」である。浜にはヤドカリが溢れんばかりに生息している。人が近づくと隠れてしまうため、じっと、動かずに砂浜を眺めていると、大小様々なヤドカリが動き始める。その様子がなんともかわいい。再び、人が動くと、また、貝殻の中に隠れてしまう。人に反応する生き物を見ていると全く飽きない。さらに、こんなかわいいヤドカリが住む砂浜が、なんと汚くなってしまったことか。漂着ゴミを拾うことと同時に、ヤドカリ目線で砂浜をもう一度見つめなおすと、単なる苦痛のゴミ拾いが「ヤドカリング」という行為に変わることによって、別の達成感が得られる。これがライフスタイルソリューションである。

 

 

コラム42

 2019年6月27日

子どもも働くことの意義

 

先日、『静岡市こどもクリエイティブタウンま・あ・る』を訪問した。ここで開催しているこどもバザールは、小学46年生のこども店長たちがつくるこどものためのこどものまちなのだ。商品をつくる、売る、お仕事を教えるのは子どもたちである。さらに小さい子どもたちは、社員となって働く。働くと給料をもらい、それでバザール内で買い物をしたり、ゲームをしたりする。やりたいことは自分で決めるのである。バザールを視察すると、8割は女子。男子は少ないが、女子が活発に仕事をして生き生きしている。ここで行われていることに含まれる要素を、戦前の暮らしから抽出した「失われつつある暮らしの価値」を照らしわせると、なんと多くの要素が含まれていること。それ以外にも、責任感、自主性が身に付き、保護者の方々は、これに参加した結果、子どもの顔つきがかわった、道筋をたてて行動するようになった、明るい会話が増えた、小さい子の相手ができるようになった、など多くの効果を指摘している。学術的に効果を見えるかする予定である。

 

 

コラム41

2019年6月12日

職人による値付けとストーリー

 

長野県の戸隠へ訪問した。そこには、昔から根曲がり竹による竹細工の技術が継承されている。しかし、近年、竹細工だけでは生活できないため、職人が減って行った。今回、戸隠の竹細工センターの中で竹細工を販売している人と話し込んだ。いろいろ質問をしているうちに、店中に並んでいる竹細工の背景にあるストーリーを聞くことができた。「このざるは、80歳の方が制作したものであるが、残りはわずかしかなく、それが売切れれば、終了ですよ。」、「こちらのざるは国産の竹ですが、根曲がり竹ではないので安いのです。」、「これが高いのは細い部分が難しいからですよ。」などなど。私は、最初に店の中を一通り見て回った時には、ザルの機能を金額に換算し、その機能を果たすことに何千円、という値段がついていると解釈し、高いなと思ったが、なぜ、根曲がり竹を使っているのか、それをつくった職人は最後の職人だとか、根曲がり竹のしなる特徴を使っているとか、この茶色くなっている部分は、実は、古いざるの色がいい色に変わった部分をほどき、新しいざるに再利用しているだとか、ストーリーを知ることによって、何千円という値段がむしろ安く感じるようになった。自分が機能で物の価値を測っていることに改めて気づき、大いに反省する旅行となった。

 

コラム40

2019年5月27日

 

北上市にある株式会社展勝地では若手の社員が、木臼をつかって餅つきをして、餅を作って販売している。この餅の大きさが一握りで90gらしい。慣れてくると、一回で90gの量を握り取れる。3,4年やり続けると失敗はないという。ヨモギを混ぜてヨモギ餅を作る場合、木臼でつくと、筋が少し残るが、それが香りを引き立てる。木臼でつくので、できる味と触感である。通常の木臼は2升の餅をつくが、1升だとうまくつけないという。これは通常の木臼の道具によると思われるが、餅つきにもノウハウが多数存在する。この感覚を共有できることが熟練への道への第一歩となっている。地下資源を用いない楽しみ方、満足の仕方、社員のマネジメントの仕方、美味しい食の食べ方は、やはり昔の暮らし方に豊富に詰まっている。

 

 

コラム39

2019年5月26日

感性を育み、暮らしの知恵のシャワーを浴びる

 

2019年5月24日、25日に大企業の中堅社員を北上市にお連れし、自然から気づきを得る合宿を実施した。ライフスタイルデザインプロジェクトと連携した初めての試みである。この合宿は、自然を利用し感性を育み、暮らしの知恵のシャワーを浴び、自然の恵みを満喫し、地域でライフスタイル変革に取り組む人とのディスカッションを行うものである。地球上にいろいろな生き物が住んでいることを最も感じるのは、夜に鳥や小動物の声をきくときである。夜に森の中で耳を澄ましていると規則性のあるカエルの声に気が付く。この二匹のカエルは何か交信しているのではないかと。田舎育ちの人も、このようにじっと音を聞くことはなかったと言っていた。多くの研修生は、自然体験や地域に暮らす人々との会話から気づきを得られたようである。研修生の人達には視野を広げ、感性も使い、深みのある、未来の心豊かな暮らしの実現につながるビジネス提案をしていただくことを願っている。

 

 

コラム38

2019年5月13日

人と心が通じ合うこと

 

発酵食をテーマにしたワークショップが様々なところで行われている。これはブームなのかわからないが、漬物、味噌など様々なものがある。これらのワークショップは微生物を相手に試行錯誤を繰り返す。同じプロセスを体験すると、一緒に参加していた人と心が通じ合い、友達になれるらしい。微生物の動きは目には見えないが、これらをコントロールすることはできる。そして、他にも自然を通じて心が通じ合うことは数多く聞いたことがある。自然を介してコミュニケーションを取る、これを応用して、都会の人と田舎の人がコミュニケーションをうまくとることができれば、素晴らしいツールになると思う。

 

 

コラム37

2019年4月18日

伝承の難しさ

 

秋田県湯沢市岩崎八幡神社境内に鹿島様がいる。鹿島様の由来は諸説あるようだが、一般的には「人形道祖神」というのが定説である。道祖神というのは、道路の分かれ道や村や町の境界にいる神様のことで、ある種の結界を張っているのである。よそ者や悪霊、穢れている体の人は直接村に入れず道祖神によって清められると考えられてきた。岩崎にある鹿島様は3m以上ある(写真)。特徴あるお面と藁でつくられた体。稲藁は、近年品種改良で、短くなっているため、鹿島様の部位を十分に作れないところもあるらしく、鹿島様専用の藁を入手してつくるようになっている。屋根や空間を作り風雨に耐えるように工夫されており、2年に1回、衣装替えをする。2019年4月14日に鹿島祭で住民の各家庭から一人参加するというルールで受け継いできたが、そのつくり方は明文化されておらず、見様見真似でつくりあげている。誰がリーダーということはなく、黙々と部分をつくり、最後に衣装替えをする。この地域も他と同様に高齢化が進んでおり、2年後、4年後を不安視している。今、継承を考えないと手遅れになる、というところまできている。伊勢志摩地域でも伝統を継承するためにルールを変えてでも継承している地域があることを伝えた。一歩踏み出す時期がきている。

 

 

コラム36

2019年4月8日

大学生の感覚

 

ここでは大学名は伏せるが、大学でのグローバルリーダー育成プログラムなどに参加する積極的な学生の感覚は、私が想定するよりもとても素直だと思う。あるリーダー育成プログラムの合宿でバックキャストによるライフスタイルデザインの講義や90歳ヒアリングをリアルに実施してみた。学生は約80名。そこへ90歳の方をお呼びし、私と対談形式で戦前の暮らし方についてゆっくりと話をした。その後、20分ほど、学生から90歳の方への質問を受け付けた。そこでの質問の一つに、「バス停で待っている時など、隣の知らない人に話しかけたりしたのですか?」というものがあった。「いえ、話しかけません。知っている人にしか話しかけません。むしろ、話しかけるなと教育されていた。」という回答であった。恐らく、昔は、助け合いの心が今よりもあり、知らない人にも交流するために話しかけていたのではないか、と想定した質問だったと思う。しかし、予想外にも、逆の返事がきたのである。わかっているようでわかっていないことが多いことに気づいたに違いない。

 

コラム35

 2019年3月25日

震災後、8

 

東日本大震災が2011311日に発生し、その後、8年が経過した。私自身は地震発生時には、東京の山手線内におり、震災の直撃は避けられたが、帰宅難民を経験した。殺伐とした雰囲気のまま、その後2年が経過したが、その後は、ゆっくりと復興が進んで行った。先日、宮城県岩沼市の千年希望の丘や気仙沼港を視察した。まだ、気仙沼港の防潮堤は完成していなかった。高い防潮堤があるため、海沿いなのに海面が見えない場所が多々ある。貞観地震(西暦869年)の時の津波が運んだ土砂の堆積量と今回のものがほぼ同様の厚さであることを示す展示が千年希望の丘にあるセンターで見ることができる。その間も、いくつもの津波による土砂が堆積してきた。恐らく、今後もこの地域には大小様々な津波がやってくるだろう。津波が来たら逃げる、これをどう後世に伝えていくか。宮城県の沿岸部には津波到達地点を示すポールやパネルが多数設置されていた。津波の威力を弱める策があの手この手で施されていた。しかし、人口の減少は止まらない。2010年と2015年の人口を比較すると気仙沼市は73489人から64988人へ12%減、南三陸町では17429人から12370人へ29%減である。津波の影響はあると思われるが、高齢化が加速し、2045年には気仙沼市の人口は2010年比で55%減へ、南三陸町では63%減少する。

 

 

コラム34

2019年3月8日

雪かき、雪下ろしの問題

 

この1か月の間に湯沢市で90歳ヒアリングを30名近く行った。雪国で現在の共通の課題として、雪かき、雪下ろしの問題がある。道路の雪かきは膨大な費用がかかり、屋根の雪おろし、雪投げは高齢化の町では負荷がかかりすぎ、さらに、転倒して命を落とすこともあり、危険を伴う。戦前の湯沢ではどうであったか。結果は、それほど問題ではなかったということであった。茅葺屋根の時代には、一人が屋根にのぼり、屋根の上部の雪をまずは取り除き、スコップで雪と屋根の間を突き刺すと、簡単にがさーと雪を下ろすことができた。下ろした雪はそのまま放置し、窓から光が入るようにケアするだけでよく、雪囲いをしてあるので、家は大丈夫だという。昔は、家族が大勢おり、屋根がそのような形であり、家と家の間にスペースがあったので、そのように簡単に雪下ろしができた。道路も雪を踏み固めて利用していた。薪を山から降ろすのも、雪を逆利用し、残っているうちにそりで降ろした。雪の作業は、結などのしくみは使わずに各家で行っていた。つまり、それほど問題ではなかったのである。雪かき、雪下ろしは、車社会、都市の家の密集の問題なのである。

 

コラム33

 2019年3月3日

利便性の壁

 

湯沢市で90歳ヒアリングを行った。湯沢駅周辺には、農業以外の商売を行っている人が多く住んでいた。彼らは野菜を育てるスペースと余裕がないため、野菜は店で購入し、しかし、漬物は自分でつけていたそうだ。この話には何かひっかかるところがあった。通常は便利な社会になるにつれ、依存型の暮らしに変わっていくものである。野菜は購入するが、手間暇かかる漬物は、購入しないのには何か理由があるはずである。90歳の方々と意見交換したなかで出てきたいくつか理由がある。一つは、漬物は保存食であり、豪雪地帯で雪に覆われる冬を越すためには、必要不可欠のものである点が挙げられる。しかも、11月くらいから3月くらいまでと長期にわたって食べていくものである。飽きないように、味も野菜も複数欲しい。そして、発酵食は自然環境の微妙な変化でも味が変わるもので、漬物づくりは楽しいものでもある。これらの理由により、野菜作りは手放したが、漬物づくりという不便は手放さなかったのかと想像する。

 

コラム32

2019年2月8日

高校生との連携

 

地域づくりにおいて、高校生との連携が活発化しそうだ。2019年度からこれまでの総合的な学習の時間が総合的な「探究」の時間に変わる。地域が抱える課題を解決するために探求するのである。受験、受験と言っていた高校が、地域社会との関係を重視し始めている。今後、高校の統廃合は進むと思われるが、地域社会の目を無視できない状況になってきた。高校生は卒業後にある一定数は地域から出てしまうが、その彼らがこの段階で地域の良さ、課題に深く目を向けることは、その後の人材の流れを大きく決定すると思われる。自分が育った地域を良くしたいという一人一人の心が社会を変える原動力になり得ると考える。今後、ライフスタイルデザインプロジェクトを、高校での「探求」の時間に位置づけられるよう、まずは成功事例を見せていきたい。秋田県湯沢市から始めたい。

 

 

コラム31

2019年1月31日

好循環

 

兵庫県豊岡市において、2013年からライフスタイルデザインプロジェクトが継続している。中筋地区において、バックキャストを用いて、2030年にライフスタイルをデザインした。ライフスタイルのコンセプトは「豊岡の食材で集うライフスタイル」である。まずは、「旬を楽しむ会」を春夏秋冬に2年ほど開催し、地元の野菜を知る会を楽しんだ。これはコミュニティ運営をする人を育てることになった。その後、給食で地元の野菜を食べられるように、自然を用いた雪室で電気を使わない保存事業を地元農家が起業して開始した。蕎麦を保存してみると、意外にも美味しかった。豊岡ではこれまで蕎麦の生産をしていなかったので、蕎麦の生産も開始された。ある企業は雪室販売も開始した。好循環に進んでいる。持続可能なライフスタイルに近づくためには、小さなひと押しをすることで、結構大きく崩すことができるのかもしれない。

 

 

コラム30

2019年1月18日

自然を楽しむ感性はどのようにして手に入れられるのか

 

秋田県湯沢市で90歳ヒアリングを行った。院内の話を伺った。この院内には、院内銀山があり、以前栄えた地域で、数多くの人が入り、出ていった地域である。最近、院内銀山に関わりのある人がルーツ探しに訪れるらしい。この院内の戦前の暮らしでは、川に魚がおり、川であゆを手づかみし、大根、白菜などをつけていた。いぶりがっこよりも、当時は干し大根であったという。味噌もつける。雪を利用して保存食にする。このおばあさんがつくった味噌や漬物をいただいた。このおいしさには言葉が見つからない。近所にも配っているという。最後に、この院内で一番いい季節はいつですか?と尋ねると、4月から5月であると言った。どのあたりですかと尋ねると、山が綺麗ですよ、と。このお宅の迎えに小さな川と山があるのだ。「一雨降れば違うなあと」感じるそうだ。葉がほころぶ、それが美しいと。表現が美しい。これは実は90歳ヒアリングをすると必ず出会う豊かな心があってこその感覚である。バックキャスト思考をいくらトレーニングしてもたどり着けない。もっと、自然に近づかなければならない。

 

コラム29

2018年12月18日

高校生の価値観

 

地方にある駅は誰が利用しているのか。ある秋田県のJRの駅で利用者を観察すると、利用者のほとんどが高校生である。また、電車の本数が少ないか利用目的が限定的なため、意外と混雑している。高校生はにぎやかで、電車の中であれこれと恋の話や部活の話をしている。その話題の内容は都市の高校生とそれほど変わらない。そして、ほとんどの人がスマホを見ている。実は、このように部分的に見ると、都市の高校生も地方の高校生も同じ環境におかれている。何一つ変わらない状況にある。しかし、地方の高校生は、都市に住むことにあこがれて、大学からあるいは就職する時にその故郷を離れていく。もしかしたら、高校生の段階で地方の良さ、都市の良さの両方を知り、どのような人生を送るのかをじっくり考える機会を与えることで、高校卒業後の人の流れに変化を与え、地方を活性化させることができるかもしれないと考えている。湯沢において新しく始まるライフスタイルデザインプロジェクトでは、そのあたりに焦点を当てて挑戦していく。

 

 

コラム28

2018年12月6日

手を差し伸べるやさしさ

 

日刊工業新聞社主催の2030年の心豊かなライフスタイルコンテストの入賞作品が公表された。最優秀賞は、『シニアライフを支えるモビリティ』。高齢者の田舎生活を小さないろいろな形をしたモビリティが支えている姿が描かれている。時速15kmぐらいの速度で移動するため、見える景色が変わり、異なる旅気分を味わうことができる。あれができなくなる、これができなくなる。反射神経が鈍る。そんな嫌な事ばかりが続いて起こる高齢者に、カラフルでいろいろな形をしたモビリティが、手を差し伸べる。このやさしさがある社会を望んだ人の作品である。他の受賞作品も、劣化していくものへ手を差し伸べるやさしさが描かれていた。地球環境の劣化も同様であろう。本コンテストの初期の受賞作品とはずいぶんと異なるタイプが受賞するようになった。時代が変わりつつある。

 

 

コラム27

2018年11月21日

自然の中で気づきを得る企業研修

 

企業研修のアウトプットが、「植物がたくさん植えられているオフィスの提案」など、表面的なものが多く、どうにかならないものか、という相談が時々ある。自然を景色としか捉えていないからである。実際には、自然から学ぶ、自然を賢く活かすなど、景色以外としての自然との関わり方は多種多様である。ところが、都会生活に慣れているビジネスパーソンにとっては遠い話になってしまうのである。そこで、企業研修でバックキャスト思考を取り上げると、ソリューションに自然が登場するようになる。環境制約が厳しくなればなるほど、自然はソリューションの源泉となるからである。裏を返せば、それほど、現在のビジネスでは自然が生かされていないということでもある。将来、使えるのは、基本的には地上の自然資源である。これらが本来持つ価値を見出し、ビジネスとして価値循環をどのようなステークホルダーと連携して促すことができるかを踏まえた大きな構想が必要となってくる。このような背景の中、今後、バックキャスト思考やネイチャーテクノロジーなどの手法を用いて、自然を観察し、暮らしとの関係を見つめ、自然から気づきを得ながら、ソリューションを生み出す研修を、数多く展開しようと考えている。

 

 

コラム26

2018年11月7日

湯沢での話

 

秋田県湯沢市を訪問し、世界発酵人会議に参加した。これは2018年11月3日から11日に開催された発酵をテーマにしたイベント「 Fermentators Week / ファーメンテーターズ・ウィーク」である。若者が活発にまちづくりに参加しているようであった。湯沢市は人口47,000人で、秋田県南部に位置する市である。古くから秋田の南の玄関口として発展してきた。小野小町生誕の地と言われる。ここは、近年、人口減少により、交通網を縮小し、地区によっては、バスの運行が終了され、高齢者の移動は乗り合いタクシーのみとなっている。高齢者が病院へ行くにも乗り合いタクシーであり、病院の薬を受け取るのに予想以上に時間がかかると、タクシーの時間に間に合わず、再び、病院のロビーで2時間待たないといけなくなる。従来は屋根のあるバス停があったが、それもなくなり、冬になるとお婆さんが雪の中、乗り合いタクシーを待つため、樹氷のように立ち尽くしている姿がさみしいという。この状況はおそらく湯沢だけの話ではないと思う。もっと何かを変えないと、環境制約が厳しくなるにつれ、削減、がまんの世界が広がっていくだろう。早急に、制約の中の豊かさを考えなければならない。

 

 

コラム25

2018年10月29日

銭湯の役割

 

千葉県の船形で90歳ヒアリングを行った。千葉県はかつての暮らしが最近まで残っている地域の一つで楽しみにしていた。ゼミの学生と一緒に行ったのだが、ゼミの学生も同様に関心があったという「銭湯」の話を紹介したい。かつては、銭湯が社交場だったという話である。上の者が下の者に「背中をこすれこすれ」と言い、下の者は上の者の背中を洗って、流す。それだけではない。銭湯は、その一日のことを振り返り、ああだったこうだったと話をすることに意味があると言う。毎日、その日の出来事を振り返る暮らし、自分でもやってないなと改めて銭湯の意義を知ることができた。何気なく入る銭湯は有意義な時間に変わるのである。子どもの遊びの話は相変わらず面白い。蜘蛛をマッチ箱の中に入れて戦わせた。房州うちわで有名な地域であるが、そのうちわづくりで余った不要な竹で竹馬を作った。竹馬はナタをうまく使って作った。いらない船の陰に友達と集まった。道具を入れる小屋の陰で遊んだ。昔ならではの暮らしである。余り物、無駄な物、陰、そんなネガティブな表現の裏に、遊び心が宿っていく。地域に根差した暮らしとは何か、考えさせられる90歳ヒアリングであった。

 

 

コラム24

2018年10月15日

イマジネーションワークショップ

 

持続可能なライフスタイルを考える上で必要なスキルがバックキャスト思考である。これを助けるイマジネーションワークショップを設計した。バックキャスト思考のレクチャーの後に、体を動かして想像力を鍛えるのである。例えば、参加者一人一人の背中に、ある一枚の絵(例えば、動物の絵)をつけ、自分につけられた絵が何であるかを他人のジェスチャーのみで当てるというゲームである。ここでは言葉を発せず伝えることで、相手にどのように表現することで伝わるのか、相手がどのように受け取るのか、お互いの想像力の違いを体感してもらうことができる。沖永良部島海域ではギンガメトルネードと呼ばれる、ギンガメアジが大量に集まり渦を巻く現象が起こる。それを絵にしたものを、背中につけたパターンがあったが、一人の人間が多くの魚の群れという現象を伝えることがなかなか難しく、早抜けゲームであるこの方法では、このカードを付けた者が最後に残りがちであった。しかし、しばらくすると、会場の参加者全員が円になり回答者を中心に囲み、一方方向にぐるぐると周り全員で協力するという行動が2会場で確認できた。ゲームを勝ち負けで決めず、楽しむことを前提にしたことにより、協力し合うという皆の豊かな心が形になったと思われる。言葉無しで通じ合うことの気持ちよさを体感したのであろう。これは44の失われつつある暮らしの価値の中の、「助け合うしくみ」「つきあいの楽しみ」という項目に当てはまる価値である。

 

 

コラム23

2018年9月28日

WSSF(World Social Science Forum)

 

2018年9月末に第4回WSSFが福岡で開催された。JST-RISTEXのプロジェクトメンバーが集結したパネルディスカッションにおいて日本やシンガポールにおける多世代共創の事例が紹介された。論点は、仕事や勉強で忙しい世代にとって、何がプロジェクト参加のインセンティブになるかであった。食は共通してインセンティブになるということであった。どんなに忙しくても誰でも食事をするので、そのタイミングに合えば参加できるからである。また、参加する本人が楽しむということも重要な要素であった。通常、多世代共創プロジェクトへの参加はボランティアになるので、自分が楽しくないとやってられない、という方もいれば、こういう機会がなければ知り合えなかった人と知り合えたのは良かったという反応が多い。戦前の暮らしでは水くみなど毎日必須の仕事場で人が集っていたが、今は、将来のまちづくりを考えることが必須であり、そのために人が集っているというケースに変わってきた。そして、多世代共創は新しい価値観に出会えるので、それも面白さの一つのようである。

 

コラム22

2018年9月8日

バックキャスト思考

 

本日9月7日、バックキャスト思考の本が出版された。『正解のない難問を解決に導く バックキャスト思考-21世紀型ビジネスに不可欠な発想法-』(石田秀輝・古川柳蔵著、株式会社ワニ・プラス)である。これは東北大学大学院環境科学研究科で2005年から約10年間、社会人を主に対象とした環境を学べるコースで教えてきたことが中心に書かれてある。その原点にあるのは、数多くのエコな技術が発明され、社会に導入されてきているが、なぜ、CO2排出量は下がっていかないのか、というシンプルな疑問にある。部分的に見ると、減少しているところもあるが、全体的に見ると、増加している、ということである。この全体最適化をどのように、いかに早く促すのかが重要な問題である。そこでたどり着いたのが、一つは思考法を変えて全体最適化を実現するバックキャスト思考、もう一つが、急がば回れと言うように、シンプルに自分が思う疑問を自問自答し、本質的な問題構造を明らかにし、てこの原理のように効果的に解決できる解を探るシンプルクエスチョンという方法である。このいずれのアイディアも海外の有識者との1対1での議論が私の中での発端となっている。そして、議論がやがて国内の戦前の暮らし方にたどり着く。今思えば、その過程で数多くのご批判を頂きながら改善され、面白い形で手法が発展していったと思う。そのような開発ストーリーを頭の片隅にこの本を読んでいただくと面白いかもしれない。

 

 

コラム21

2018年8月30日

あなたは何をGiveし続けますか

 

日本の戦前の暮らしの中には、何かをGiveし続けるということが度々登場する。野菜が大量に収穫されたとき、魚が多く採れたとき、近所の人にGiveするのである。この時、何か見返りを期待しているわけではない。ただ、Giveし続けることで、後々、予想もしないTakeがある。Takeを期待したGiveと、Takeを期待しないGiveは、心の構えが大きく違う。先日、都市から地方へ移住した人の話を聞いた。移住者が学ぶことは、この何かをGiveし続けることが、信頼につながり、それがあるから、Takeがあるという。しかし、Takeは無くてもいい。それが地域に溶け込むコツだという。今の社会ではこの価値観は少なくなっていると思う。私にはGiveし続けられるものが一つある。それは90歳ヒアリングを600名程度実施したことで得られた先人の知恵や哲学や概念である。私はこれを後世に伝えることにTakeはいらないと思えている。90歳の方々の顔が思い浮かぶとなおさらである。こんな心境を体験させていただいたことに感謝している。あなたは何をGiveし続けますか?

 

 

 

コラム20

 2018年8月8日

離島の砂浜

 

沖永良部島の砂浜でゴミ拾いをした。砂浜には中国語や韓国語などの海外の表記も混じったプラスチック、ビン、缶、劣化して粉々になったマイクロプラスチックなどである。沖永良部島には子どもたちがそのように汚れた砂浜のゴミを拾う活動を進めている。うじじきれい団と呼んでいる。小さな砂浜では、この子たちの家族と一緒にゴミ拾いを毎日朝15分ほど実施すると、2週間程度で拾いきれる。しかし、一度台風が来ると再びゴミに埋め尽くされ、もとの状態に戻ってしまう。しかし、そのまま放っておくと、砂浜でプラスチックが劣化し、粉々になって、砂に交じり、魚がそれらを食べてしまう。さらに、人がそれを食べると、我々の体内にプラスチックが入ってくる。沖永良部島には洞窟も多く存在する。かつては、洞窟の周囲は子供たちの遊び場であった。うなぎや魚をとって遊んだという。しかし、誰かがごみを洞窟の上の道路から捨て、また、誰かがごみを捨て、そして、川の水に流されて、昭和時代のゴミがその洞窟周辺に蓄積してしまっている。この背景にどんな理由があろうとも、ガラス瓶の破片で足を怪我する洞窟で遊びたくないし、プラスチックが蓄積した魚を食べたくない。暮らし方のかたちの見直しが必要である。

 

 

コラム19

 2018年7月24日

この活動自体が心豊かだ

 

志摩市において『未来の暮らし方を育む泉の創造シンポジウムin志摩』が2018721日に開催された。そこでは、バックキャストと90歳ヒアリング手法を用いて、志摩らしい未来の心豊かなライフスタイルをデザインし、その実現に向けて市民と連携して活動を進めるプロジェクトの成果報告がなされた。その中で示唆に富む発表があった。ある地区において、地球環境問題やバックキャストなど本プロジェクトの基盤となる考え方の勉強会を開催してプロジェクトの推進を開始したが、開始時点で賛同者があまり得られなかった。人数が減って行ったが、地区の子ども、未来のためによくわからないけど、一緒にやってみないか、と地元の方が発言し、徐々に賛同者が増え、今や20人を越える人が参加する実行委員会が推進している。このプロジェクトのおかけで、地元の事を再度調べたり、共同作業をしたりするうちに、今や自分たちがこの活動を通して楽しみ、達成感を感じ、地域の仲間が再結成されたという。本当に感謝しています、なによりも、今、僕たちが心豊かです!と。私は手法を持ち込み、背中を押しただけで、地域が動き出す。持続可能な暮らしへの転換の瞬間は、こういうことなんだろうと思う。

 

 

ラム18

 2018年7月12日

質の高い暮らしを維持するために

 

先日、体調が悪くなり、夜に発熱した。節々が痛く、咳が出た。歩くのもだるかった。次の日の朝、熱が下がったので仕事をしたが、昼過ぎから耐えられなくなり、家に帰って寝た。また夜になると高熱が出たため、夜に病院に電話をした。夜間用の電話の窓口が言うには、「それは医者にみてもらい、薬で治さないとダメですよ」と怒られた。そして、勧められた候補の病院に電話をした。症状を話したところ、夜間の救急には来ないでくださいと言われた。出せても一日分の薬だけですよと。昼間にも病院には来ないでくださいと言われた。食欲はあり、お腹を壊してなかったことを伝えたからだろうと思うが、「食べて寝て治しなさい」と言われた。その程度は自分で治しなさいと。久しぶりに、粋な対応をされた気がする。その通り食べてたくさん寝た結果、汗をかき、平熱に戻った。将来、高齢化が一層進み、より一層こんな世界になるんだろうなと思った。しかし、利便性の坂を一歩上がった気がして、気分は悪くない。何かに頼りすぎの暮らしから、自分で何とかする力強い暮らし、質の高い暮らしになり、またそれを維持するためには、このような強い口調の医者が重要な役割を果たすのだろうと思う。今、私たちの社会にはこのように背中を押す人が必要である。

 

 

コラム17

2018年6月29日

制約の中の豊かさ-マイボトル-

 

北欧の国、デンマークのコペンハーゲンを訪問した。そこで立ち寄ったお店に、『eva solo my flavor carafe』というマイボトルが販売されていた。これは透明な環境配慮型のプラスティックの中に長い針がついており、そこに、フルーツや野菜をさして、水を満たすと、水に香りや味つけをして持ち歩けるマイボトルである。おしゃれに持ち歩きながら、自分好みの味の水を飲める。コンビニ、スーパー、自販機には販売されていないオリジナルなドリンクになる。友達に飲んでもらってもいい。自分が楽しんでもいい。販売されているドリンクは飲んだら捨てるという使い方であるが、このマイボトルを使うと資源使用量が削減され、さらに、マイボトルだからこそできることをおしゃれに楽しむことができる。これは制約の中の豊かさの例の一つである。利便性を少し捨てた世界には、新たな楽しみや心の豊かさが存在する。

 

 

コラム16

2018年6月10日

みんなに役割がある

 

青森で最後の桶職人と言われている90歳の方にお話を伺った。

「魚入れておく桶は、一日に何十個もできます。それ作らないと間に合わないんです。魚、箱に入れるよりも桶は高く売れるわけです。樽に入れた魚は値段が違うんです。一年中、作りますよ。休みありません、今みたいに。定休日も何もありませんよ。秋から春までは夜業ですよ。年中忙しいですよ。時期的に仕事が違ってきますんで。」

昔を思い出すかのように語った。

若手の桶職人は、魚を入れる桶をつくったそうだ。腕が上達すると、水が漏れない桶をつくれるようになるそうだが、上達しないうちは、魚を入れる桶をつくったという。水が漏れて良い桶だからだ。若手の桶職人にも役割があり、仕事があった。無駄がない仕組みだ。昔はみんなに役割があったのだ。

 

 

コラム15

2018年5月29日

感性をよみがえらせる

 

90歳ヒアリングとは、戦前の暮らし方をヒントに未来の心豊かなライフスタイルをデザインする方法です。それだけ言うと、みその作り方、オニヤンマの捕まえ方、草履の作り方という“知恵”に注目が集まるが、全く違う視点で学べることがある。それは感性の豊かさである。志摩の海女さんに、なぜ80歳まで海に潜っていたのか、と伺うと、それは海がきれいだから、と即答が帰ってくる。鹿児島のおじいさんに花見はどんなでしたか、と伺うと、桜が近くになかったので、春先に田んぼに咲く小さなれんげ草の花が一面に咲き乱れるときがある、その時に丘の上にかけあがり、上から一人で見下ろすという。蛍を捕まえたら家の持ち帰り、蚊帳の中に放して夜は綺麗な光を見ながら寝る。夜道が真っ暗でも、川の音、におい、風、などを頼りに灯りなしで、一人で家に帰ることができるという。農業に必要な牛を少し離れた村から借りてくる。農作業が終了したころ、再び、牛を返さなければならないので、分かれ際は寂しくて涙する。これだけ五感を使った暮らしは心の豊かさも多種多様であり、豊富に違いない。私たちに未来は知恵だけではやっていけない。これらの感性を呼び覚ます必要がある。

 

 

コラム14

2018年5月16日

資源が循環する暮らし

インドネシアには、Fishpondというシステムがある。インド ネシアのバンドンに訪問した時に、実際に地元の方にこの Fishpond を見せて頂いた。かつては、Fishpondに魚を泳が せ、家の残飯などのゴミは Fishpondの魚に与え(Fishpondに 捨て)、やがて、良いタイミングでそれらの魚を食べるのであ る。Fishpond の脇には涼み台なる憩いの場があり、風が通る 快適な環境があった。最近では、そのような暮らし方は少なく なり、Fishpondにはコイなど観賞用の魚がはなされ、憩いの 場としての機能のみが受け継がれている。医者や大学教授など がこのように少し丘陵地に Fishpondを持っているようだ。冷 蔵庫もない場所に、このような Fishpond があれば、新鮮な魚 を食べることができる。うまくできたシステムである。捨てれ ば浄化してくれる、という考え方が染みついてしまったのか。 インドネシアではポイ捨てのゴミの問題が解決していない。ど のようにしたら、ゴミのポイ捨てが減るのか。持続可能な資源 循環システムにはどのような要件が求められるのか。昔の暮ら しに学ぶところは多い。

 

 

コラム13

2018年5月2日

わかめ

 

宮城県石巻市の雄勝町で戦前の暮らしについて聞き取り調査を行った時に、面白い話を聞いた。雄勝町でとれたわかめなどの海藻を鉄道で秋田まで運んでいたそうだ。一瞬、なぜだろう、と考えた。秋田でも海藻はとれるはず。なぜ、わざわざ不便な雄勝町からわかめを運んでいたのだろうか。ただ、全て売って帰ってきたそうだ。戦前には行商がたくさんいた。行商は情報と物を持って移動し、安く泊まれる木賃宿に宿泊していた人もいたそうだ。富山の薬売りも素晴らしい。日本中に薬を販売していたのである。この起源を調べると立山信仰に基づく修験者の檀家の布教などとも言われている。物だけ動いても面白味はないが、人が物を運ぶと急に面白さが生まれる。

 

 

コラム12

2018年4月10日

ライフスタイルは概念と行動

 

「朝、早起きして、散歩するのが日課だ」というのは、その人のライフスタイルの一つです。その日に限らず、他の日や他の場所にも適用できるからです。「昨日の朝は早く目が覚めたので散歩した」というのは、ライフスタイルを説明したものではありません。昨日の一つの生活シーンを表現したに過ぎません。その時や場所に限定されるからです。ライフスタイルと生活の1シーンの違いは、その行為の背景に何らかの概念があるかどうかです。現在、生活の中に普及しているこの「概念」と「行動」を変えることで、より低環境負荷であり、かつ、心の豊かさを得られるのではないかについて、4月からスタートするライフスタイル部会で検討していきたいと思います。「概念」だけ変わっても、低環境負荷にはなりません。「行動」だけ変わっても、心豊かにはなりません。「概念」と「行動」の両方であるライフスタイルを変える方法を考えていきたいと思います。

 

 

コラム11

2018年3月27日

水には人が集まる

 

平成28年10月に名水サミットが志摩市で開催されました。私はこの時のパネルディスカッションでファシリテータを担当しました。志摩市で環境省指定の名水百選に選ばれているのが、恵利原の水穴です。伊勢神宮の近くにあり、この水穴は天の岩戸と呼ばれています。パネルディスカッションでは、戦前からの水にかかわる暮らしや、現在に至る話、未来に向けてどのような行動をとるか、について議論したいと思い、事前に90歳ヒアリングを行いました。もちろん、当時は名水に選定されていませんでした。しかし、その川は日常生活の賑わいの場や憩いの場でした。川で洗濯をし、情報交換の場だったのです。川には洗濯用の石が並んであり、川は大賑わいでした。子どもと一緒におしめを洗いに行き、子ども自慢やおかゆやおじやのコメの固さについて聞いたこともあったと言います。このように、コミュニティの中心に自然があったのが戦前の日本の暮らし方の特徴だと思います。自然に寄り添う暮らしとは、まさに、このような暮らしなのだと思います。

 

 

コラム10

2018年3月14日

北京の自転車

 

北京の大気汚染の状態は良くないです。非常に健康に悪い状態にあるとアラートが出ています。2018年3月13日に実際に体験すると、目がすぐに反応し、目ヤニが出てきました。目がちかちかして、そして、若干動悸がするのです。太陽は霞があるせいか、目視できる状態です。北京の大気汚染は中国に多く残る石炭火力発電所の排ガスや自動車の排ガスが原因と言われています。グローバル化が進展した結果、住みやすい環境になっている地域もあれば、ものすごく住み難い地域になってしまっている地域もあるということです。

この数年の変化だと思いますが、北京の街には自転車が増えたと思います。シェア自転車です。同じ種類の自転車や電動バイクがたくさん走っている光景は、私が最初に北京を訪問した1994年ころに似ています。静かに、後ろから近づいてくるので、慣れないと歩行が怖いですが、現地の人も小さな文句を言いながらですが、暮らしています。暮らし方の変化があるようです。新技術の導入にとどまらず、生活者が行動変容していることは素晴らしい進展だと思います。

 

 

コラム9

2018年2月22日

買い物

 

広島県の山奥に位置するある町では、暮らしに自動車が必須となっていますが、高齢になると自動車の運転もなかなかできなくなり、買い物に困っている人が増えているようです。そんな中で、地元住民が、自分の大型の自動車を使って、おばあさんたちを7,8人のせて、買い物に連れていき、スーパーでいったん解散して、ある時間になったら再び集合して、大型の自動車で町に帰っていく、ということをしているそうです。自動車の中ではみんな大盛り上がりで、買い物も自由にできるので、喜ばれているようです。将来の環境制約下において、自動車が高価になると、まさに、このようなビジネスが生まれてくるのでしょうか、または、そうではなく、買い物や集いの楽しみを捨てて、注文して配達してもらう人が増えるのでしょうか。自動運転で個人個人を市場に送り届けることになるのでしょうか。単純な物流ではなく、心豊かな暮らしを支える新しい交通、移動体を考えるときが来ているのだと思います。

 

 

コラム8

2018年2月16日

草木にお供え物

 

北上市のみちのく民俗村において、2月15日、16日の二日間で旧暦の正月の行事に参加した。母屋、草木、道具にお餅をお供えする。このみちのく民俗村には、北上市内や東北地方の住居や曲り家などの母屋が移設され、多種多様の草木が敷地内にあり、昔の暮らしに必要だった道具類も見ることができる。これらの母屋、草木、道具に、旧暦の大晦日に餅をついて、お供えするのである。小動物やカラスなどの鳥がその餅を取っていってしまうこともある。ちょうど、私が参加した時にも、カラスが餅をくわえて飛んで行った瞬間を見た。草木は60種類以上あり、道具もこの敷地内に60種類以上あり、これらにお餅をお供えするのに、それなりに時間がかかってしまう。ただ、普段あまり意識しない草木への感謝の気持ちを表すことができた。季節感を持ちながら、動植物、道具、母屋に感謝の気持ちを表すこの年1回の行事は、生物多様性への意識を促し、人は自然に生かされているということを思い出させてくれる。ゆっくりと囲炉裏の火にあたりながら、そんなことを考えた二日間であった。

 

 

コラム7

2018年2月1日

再生可能エネルギーに気持ちを込める

 

東北大学において、バックキャスティングで新ビジネスを検討していたころ、『創エネギフト』というアイディアが生まれた。その直後に東日本大震災が起こり、今こそ、このアイディアが生きるときだと思ったことがあった。『創エネギフト』とは、地球温暖化を避けるために化石燃料から再生可能エネルギーへ代替するという地球環境問題解決に寄与することに加え、さらに暮らしに心の豊かさを付与するビジネスアイディアである。具体的には、太陽光発電や自転車発電、エアロバイク発電などの再生可能エネルギーで、気持ちを込めて自らエネルギーを創り出し、電池にためて、それを伝えたい人に贈るのである。もちろん、物理的に電池をお歳暮のように贈ってもいいが、バーチャルに再生可能エネルギーを贈っても気持ちを伝えることもできる。また、東日本大震災直後には、1か月以上も電気が届かなかった地区がある。このような支援が届かない被災地へエネルギーを寄付し、メッセージと共に、エネルギーを受け取ってもらうこともできたはずである。エネルギーを金額換算する世界ではこのようなアイディアは生まれないが、心豊かな暮らしを考えることによって、絶対量として少ない再生可能エネルギーの利用方法が変わる可能性がある。田舎に住んでいるおじいさんやおばあさんが都会の孫が創ったエネルギーをメッセージと共に受け取ったら、どんな気持ちになるだろう。私も受け取ってみたい。

 

 

コラム6

2018年1月19日

自然に寄り添う暮らし

 

秋田市の水が豊富な地域で、近くの山から出る湧き水をその地域の各家の中を通して、共同利用するところがある。水道が通っていなかったころ、このような利用方法をしていた。自然に寄り添う暮らしの一つである。

ところが、この「家の中を通す」意味は便利さ以外にあるという。各家庭では子どもに、「下流の人に迷惑になるので、水を使うときは、すくって、使いなさい。」と教育するのである。湧き水は上流から下流に流れ、地域のみんなで利用しているので、そのまま何かを洗って水を汚してしまうと、迷惑になる。

このように自然に寄り添う暮らしは、自然を自由に使っていいわけではなく、持続的に地域で利用していく工夫がなされてきた。自然資源の利用の仕方を一つ間違えると、山に豊富な山菜やキノコなど食料も次の年に生えてこなくなる可能性もある。常に持続的に利用できる方法をコミュニティとして考えてきた歴史がある。

今、なぜこのような考え方が薄れてきたのだろうか。自然とコミュニティとの距離を再度近づけ、自然に寄り添う暮らしを体験しなければ、気づけないことなのだろうか。2050年に向けて真剣に自然と共生する心豊かな暮らしとは何かを問い続けなければならないと思う。そして、その上で、企業や行政はどのように社会を方向転換すべきかを考える責任がある。

 

 

コラム5

2017年12月21日

ライフスタイルデザインプロジェクト

 

豊岡市は2013年から豊岡ライフスタイルデザインプロジェクトを進めている。バックキャストによるライフスタイルデザイン手法と90歳ヒアリング手法を用いた豊岡型ライフスタイルの創出を進めてきた。

初年度は豊岡市の職員や民間企業からメンバーを募り、90歳ヒアリングを実施し、豊岡の戦前の暮らし方を知り、環境制約下における心の豊かさとは何かについて勉強し、1年かけて、数多くのライフスタイルをデザインした。また、2年目~3年目にかけては、豊岡市内で具体的なモデル地区をいくつか定め、例えば、中筋地区では、「豊岡の食材で集う暮らし」を実現するプロジェクトが開始された。その結果、現在、豊岡に大量にある雪を用いた雪室で地元の野菜を保存することで、給食で地元の野菜を食べることができるようになった。同時に、そばやお酒を保存し、新しい商品開発がスタートした。

自然資源を活用することによって、これまで見えていなかった効果を発見することができ、新しいビジネスが生まれようとしている。実は、他の地域でも見えてきているのが、効率やコストを重視する現代社会では無駄として扱われているものや価値が多々あり、自然資源を利用したり、自然循環を試みると、それらの見捨てられていた価値が見えてくるのである。したがって、ライフスタイル変革にはビジネスチャンスは多いにある。

このように、2013年ころから、豊岡市、秋田市、北上市、志摩市、沖永良部島でライフスタイルデザインプロジェクトが開始された。そして最近では杉並区が「スギナミライフ学」というセミナーをスタートし、ライフスタイル変革のムーブメントが自治体主導で都会にまで拡大し始めている。

 

 

コラム4

2017年12月5日

知恵の凄さ

 

資源を循環させて、心の豊かさを得る方法を知っているだろうか。今の社会では、無駄のない資源循環を検討する際に、心の豊かさについて考える人は少ない。

90歳前後の高齢者に戦前の暮らし方について聞き取り調査を行った。様々な地域で、その地域内で資源が循環していたことがわかる。例えば、灰汁を灰汁屋にためておき、鍋や板の間の洗浄に利用していた。食べかすや牛糞、さらに、人糞を肥料にしていた。風呂水を肥料に混ぜていた。豆の煮汁やフノリを洗浄に、クルミで毛糸を染めていた。煮魚の骨やウニの殻、ヒトデなどを植木の肥料にしていた。昔はどんなに着るものが傷んでも汚れても、布地は絶対に捨てなかった。だから納戸には、何かにしようと思って箱に取ってあるボロがいっぱいあった。

このような暮らしは、一見、平凡な田舎暮らしに見えるが、心の豊かさという観点で見ると、自然と共生する暮らしの知恵のすごさを思い知らされる。布地は絶対に捨てず、一つ箱を用意して、ためておいたというアイディアに着目していただきたい。様々な色のボロがたまってくると、汚れてもいい仕事着に縫い直したというのである。カラフルなボロがたまると、何を縫おうか、考える楽しみが生まれるのである。この箱一つで心豊かな暮らしに様変わりしているのがわかるだろう。分別だけすれば良しとする世界には想像もつかない心豊かな暮らしが広がっている。

 

 

コラム3

2017年11月24日

90歳ヒアリング

 

富山で90歳ヒアリングを行いました。90歳ヒアリングとは、将来の厳しい環境制約の中で、バックキャストで心豊かな暮らし方をデザインするときに、全く新規にデザインするのではなく、同様に厳しい環境制約下であった戦前の暮らし方をヒントにしようとする調査手法です。既に、日本全国500人以上にヒアリングをし、多くの知恵を学びました。

最近実施した富山の90歳ヒアリングで実学の話が出てきたのでご紹介します。その90歳の方が子どものころ、近所のおじさんに、遠くにある橋の長さはどのくらいか、あの木の高さはどのくらいか等の質問をよくされ、そのような実学がその後暮らしの中で生きたというのです。今、そのようなことを子どもに質問して、近所の子どもたちを教育する人は少なくなったと思います。

現在、そのように子どもに応用力を教える機会が少なくなったのだと思います。現在、伊勢市にある高校との連携を進める中で、同様の話が出ました。最近の高校生は応用力がないというのです。一つの分野の手法を習得することはできますが、複数の異なる分野の知識を使って、応用して解を見つけていく発想ができなくなっているというのです。いろいろな原因が考えられますが、その一つには近所の子どもへ実学を教えるというコミュニティに存在した考え方が失われつつあるからだと思います。

 

 

コラム2

2017年11月8日

ライフスタイルデザイン

 

地球環境問題は益々悪化し、パリ協定やEUの循環経済を目指す動きは、もはや止めようもない国際的な事象となっています。これら諸課題への解決に向け、2050年までにCO2排出量を80%削減することが世界共通の目標となりました。また、2030年にはSDGsを実現しなければなりません。そのためには、2050年の厳しい目標を鑑み、バックキャスティングにより2030年までに個々の市民レベルのライフスタイルを変革し、豊かな暮らしを実現することが求められます。

益々厳しくなる環境制約下でも豊かに暮らすとはどういうことなのでしょうか。今までの延長線上を描けば、我慢や削減の暮らしか浮かびません。しかし、バックキャスティングを用いれば、一つの地球という前提でワクワク・ドキドキする未来のライフスタイルを描くことができます。2017年12月から、バックキャストテクノロジー総合研究所主催のバックキャスティング研究会が開催されます。異業種の企業が集結し、バックキャスティングで描いた未来のライフスタイルの実現に向けて、また、制約の中でこそ輝く新しい未来の人々のニーズに対して、企業はどのようなサービスを提供していくのか検討を開始します。これこそライフスタイルデザインです。

 

 

コラム1

2017年10月28日

コラムをはじめます

 

2017年10月28日に、岩手県北上市口内地区の口内町文化祭に参加した。この口内地区は、4年前からバックキャストを用いた北上ライスタイルデザインプロジェクトを実施している地域だ。南部藩と仙台藩の藩境に位置し、口内傘という和傘づくりをかつては行っていた地域で、かなりの数の和傘が東北地方に販売された。風が強かったこともあり、頑丈で長持ちする傘が特徴である。町中で分業して、傘づくりをしていた。これが江戸時代のいくつかの飢饉を乗り越えることにつながった。地産地消をしていた時期は良かったが、船運に恵まれたため、他地域から生産に必要な材料を取り寄せ、いつしか、外材だけでつくるようになり、いくつかの不況を乗り越えられず、明治後に伝承が途絶えた。今年から、ここで、バックキャストを用いて未来のライフスタイルをデザインし、「楽しみを自給する暮らし」を描き、「口内秘密基地プロジェクト」が開始された。子どもたちが親と一緒に秘密基地を里山につくり、家の中で電気を使って遊んでいるのではなく、自然の中で楽しみを見つけるプロジェクトだ。地域の将来への問題意識の高い有志が先導している。今日は、この口内町文化祭で、木材、鞄の端切れ、砂浜で拾った貝殻などを使って、ものづくりをするブースをつくった。子どもばかりでなく、高齢者まで行列で鞄の端切れを使ったイヤリングやストラップを作った。みんな、目が輝いていた。捨てられようとしていた物を豊かさに変えるのである。これがバックキャストで見出された心豊かな暮らしである。