2021年6月30日
物質循環の成り立ち~二次利用が不便なもの~
物を長く使うことは地球環境制約の中では重要な考え方である。良いものを長く使うという考え方は、小さいころから良く聞く言葉でもあった。先日、「ゴミに新たな命を与える」というテーマで題材をプラスチックごみにして、生活者の立場で議論した。ゴミとして捨てられようとしているプラスチックをそのまま捨ててしまうのではなく、新たに二次利用ができないかをとことん考えてみたのである。そこで浮上したのが、二次利用をしたとしてもそれは結局ゴミになり燃やされ、CO2を排出してしまうので、そもそもプラスチックに「新たな命を与える」というように二次利用を考えることに違和感がある、というものである。それは納得がいくが、よくよく考えると若干論理飛躍がある。まず、プラスチックの二次利用を考えると気づくのが、それが木材であれば、容易に数多くの利用方法が考えられるが、プラスチックになるといくらかは興味深い二次利用の仕方が提案されるが、まったく二次利用が不便であることに気づく。プラスチックごみを減らすには、プラスチックだけでなく、そもそも二次利用が不便であるものを買わないようにすれば良い。そして、誰かが一旦作ってしまったプラスチックに新たな命を与え(二次利用の方法を考え)、最大限活用し続けることが最も良いことである。すでに、石油資源から物に作り替えられてしまった将来温暖化に寄与してしまうかもしれないというプラスチックを、そのまま悪者扱いをすることは過激な考えにつながる可能性があるので気を付けなければならない。地球環境制約下では、「良い」物とは「二次利用がしやすい」物であろう。