コラム35

2019年3月25日

震災後、8年

 

東日本大震災が2011年3月11日に発生し、その後、8年が経過した。私自身は地震発生時には、東京の山手線内におり、震災の直撃は避けられたが、帰宅難民を経験した。殺伐とした雰囲気のまま、その後2年が経過したが、その後は、ゆっくりと復興が進んで行った。先日、宮城県岩沼市の千年希望の丘や気仙沼港を視察した。まだ、気仙沼港の防潮堤は完成していなかった。高い防潮堤があるため、海沿いなのに海面が見えない場所が多々ある。貞観地震(西暦869年)の時の津波が運んだ土砂の堆積量と今回のものがほぼ同様の厚さであることを示す展示が千年希望の丘にあるセンターで見ることができる。その間も、いくつもの津波による土砂が堆積してきた。恐らく、今後もこの地域には大小様々な津波がやってくるだろう。津波が来たら逃げる、これをどう後世に伝えていくか。宮城県の沿岸部には津波到達地点を示すポールやパネルが多数設置されていた。津波の威力を弱める策があの手この手で施されていた。しかし、人口の減少は止まらない。2010年と2015年の人口を比較すると気仙沼市は73489人から64988人へ12%減、南三陸町では17429人から12370人へ29%減である。津波の影響はあると思われるが、高齢化が加速し、2045年には気仙沼市の人口は2010年比で55%減へ、南三陸町では63%減少する。