2021年5月28日
物質循環の成り立ち~稲藁の副産物活用文化~
副産物活用文化という言葉がある。日本では稲作文化が始まり、副産物として「藁(わら)」が生まれ、藁は日本人の生活の中に必需品として最近まで利用されてきた。「藁」は「稲作農耕過程において産出される各種の副産物をむだなく生活の諸場面に用立てる「副産物活用文化」の中心である」と述べられている。副産物利用が進んでいなかった頃は邪魔ものであったと言われている。最終的には隅から隅まで利用されるようになっていった。高齢者にヒアリングすると、「藁で編んだ縄ほど堪えんですわ。不思議なもんですわ。あんなの、藁縄で綯うた物がね、やっぱり100年経ってももつんですわ。畚(ふご)は、1回作ったら長く堪えるんですわ。5年でも10年でも堪えるんです。にご縄いうて、藁の上に籾がなっとる穂があるんですわ、それを縄で綯って、そうやって細い縄にして100メートルでも張るんですわ。その縄、今でも私、80年程前に綯ったのは今でも100メートル程ありますけどね。たまに引っ張ってみると切れないんですわ。」というように最近まで利用されていたのである。稲藁だけでなく、柿、棕櫚など様々なものが副産物を無駄なく利用されてきた。どのような状況で資源としての利用という考え方から、邪魔ものをなくすという概念が登場したのかはわからない。誰もが自由に使える山林からとってきて利用するということからはこの概念は登場しないと思われるため、おそらく資源が邪魔扱いされる社会的要因が発生するようになってからであろう。邪魔者扱いから反転して有効利用していく概念は、小さい地域内で物質循環を実現させた重要なメカニズムの一つであるに違いない。