コラム99

2021年11月7日

ものづくりは心豊かなのか

戦前の暮らしでは、職人以外にも一般人が自ら遊び道具をつくり、小屋をつくり、草鞋をつくり、日用品をつくっていた。毎日ものづくりに忙しかったのは事実である。この暮らしが心豊かなのか。現代において子どもたちは工作が好きのようである。少なくとも工作好きがいる。ものづくりのワークショップを開催すると多くの子どもたちが集まる。自分も子どもの頃はプラモデルに少しだけはまった。無心でつくり続け、一日で終わらない時は数日かけて完成させた。完成させたときの満足度は最も高いと思う。逆に、完成してしまうと、私の場合はそれで遊ぶ喜びはほとんど感じなかった。次のプラモデルをつくりたくなった。しかし、これを何回か繰り返すとなぜか飽きが来た。同じことを行っていても心豊かに思うときと思わないときがあった。あまりものづくりを継続すると、手に豆ができ、体の一部を痛める。これはある意味、努力の跡であるが、体を痛めていることは心豊かではないだろう。職人は、ものづくりを継続し、技術を高め、芸術品のようなものづくりをする。しかし、何代目という肩書がつくと苦痛になるようだ。ものづくりはいつも心を豊かにするわけではない。窮屈な時もある。人間以外にも、生き物は巣をつくる。罠もつくる。そして、人間界では、暗黙知にもかかわる世界である。