コラム100

2021年11月21日

因果とは何か

 

陶磁器の職人と3時間ほど話をした。深い話となった。陶磁器の職人には興味深い世界観がある。陶磁器の世界に入るきっかけは様々であるが、自分をどう陶磁器で表現するかを考えている。繰り返しにより技術は磨かれる。五感を常に使っていく。「ここでストップ、と土が教えてくれる」という表現が使われる。やがて、原因と結果を分けて考えるようになる。知恵は原因であり、知識は結果である。意識は原因であり、物質は結果である。このように解釈される。人間は因と果の両方を持っている。そして、自分とは何か、を問うようになる。因を決定するものは何か、それが最大の関心事になる。因とは体験の積み重ねであり、人によって異なり、それが個性という果となる。因には良いものから悪いものまで混ざっている。これを見分けたいところだが、無意に光をさえぎる雲ができてしまい、見分けられなくなる。この良いものの中に縁がある。縁が自分の中に入ってきた時は因が生まれるきっかけとなる。私はバックキャストを用いることで、制約の中の豊かさにたどり着き、強い欲ではなく、小さな欲と環境という制約の変化を利用した心の豊かさが持続可能な社会を達成すると考えている。さらに、90歳ヒアリングを数多くこなすことで暮らしの中で縁が最も大事であることに気づいた。まさに、この陶磁器の職人と同じ世界を眺めている。陶磁器の職人は強い欲がある時はその縁が入ってきたことに気づかない、邪魔するように雲がかかる、とおっしゃられていた。おそらく、感覚を鋭くするからであろう。私は、ライフスタイルデザインを進める中で、欲を鎮めると雲を晴らすこともできることに気づいた。まさに制約の中の豊かさである。そして、欲を望むことと縁をつかむことのバランスを取ることが心豊かな暮らしの到達点だと思う。逆に、感情を抑え過ぎると不安になる。バランスが重要な証拠である。私は感覚的に良いと思ったご縁を自分の記憶から消さないために、必ず、物を購入し、ご縁を手元に留めるようにしている。そうすれば、その物に何かを感じた別の人が、さらに新しいご縁を持ってきてくれるからである。職人は人々に新たな因をつくり出そうとしているのである。