コラム120

2022年9月24日

大宮の戦前戦後の暮らし

 

大宮にて90歳ヒアリングを行った。実際は80歳代であったが、戦前、戦中、戦後の大宮周辺のお話を伺うことができた。大宮には国鉄の工場があり、工場長は天皇勅命だった。大宮では国鉄で働いている人は多かっただろう。今でも全体の10%くらいがJR関係者かもしれない。明治以降、代々国鉄の職員という家庭が多いという。国鉄の石炭をもらってきて、家のお風呂を石炭で焚いたこともあったそうだ。SLに乗せてもらった時に、魚の干物をさっと一瞬石炭が燃えている中に入れて出して食べたら美味しかった。線路の中に風呂をつくって、踏切の見張りの合間に風呂に入っていた。大宮は東京と比較して気温が3度くらい低いため、行楽地として栄えていった。近代社会へと向かう大宮の中で面白いことが起こっている。正岡子規が現在の大宮公園内にある料亭に学生のころ試験対策で勉強しに来た時に、いいところだからと夏目漱石を呼んだという話があった。実は、お酒を飲み過ぎてお金がなくなったので、夏目漱石にお金を持ってこさせたという話が残る。昭和9年にはベーブルースが野球をしたそうだ。同様に相撲も盛んであった。戦後に日本が新しくなろうとする先端を経験されたに違いない。