コラム61

2020年4月10日

気候変動とイノベーション

 

日本では紀元1世紀から7世紀まで寒冷期が続いた。7世紀から8世紀後半まで温暖になり、『続日本紀』などの文献の記載から、特に西日本に高温・乾燥が頻発したことがわかる。20世紀後半の現在の状態より高温であった。そのころ、干ばつ、飢饉、疫病が発生した。その少し前、6世紀末から8世紀にかけて巨大な木造の仏教建築、神社、宮廷・貴族の邸宅が建立され、植林せずに木材用の森林資源が伐採されていった。森林が持つ水源涵養機能がなくなり、さらに、畿内ではほぼ恒常的に水不足になった。この資源枯渇の時代の中で住居が森林資源を有効活用する工夫がなされ、日本独自の文化である畳の誕生につながる。

しかし、9世紀の平安時代に入っても温暖な気候は続き、干ばつ、飢饉、疫病は収まらず継続していったという。ところが、1250年から1350年までの期間に巨大火山の噴火が続き、硫酸エアロゾルが成層圏に漂い続け、温暖期から寒冷期へ移行した。これは1300年イベントと呼ばれる。冷夏、長雨、疫病、干ばつによる飢饉発生年(1481年~1601年)を挙げると、1482年、1488年、1494年、1501年、1503年、1511年、1514年、1517年、1518年、1525年、1530年、1535年、1536年、1539年、1544年、1557年、1558年、1561年、1566年、1573年、1582年、1584年、1595年、1601年である。ここまで頻繁な飢饉は想像できない。江戸時代にもさらに大飢饉は続く。天明の飢饉は東北地方だけで30万人以上、天保の飢饉では東北地方で10万人が亡くなった。1993年以降は安定しているが、自然はおそらく安定し続けてくれないだろう。長く使用され続ける畳のようなイノベーションも必要である。